プロ野球からクリケットに転向し、セカンドキャリアでもプロアスリートの道を選んだ木村昇吾は、現在、オーストラリアで武者修行中だ。この10月まで1シーズンを日本のクラブチーム・ワイヴァーンズで過ごした後、より「クリケット漬け」の環境を求めての渡豪。目標とする世界最高峰のインディアン・プレミアリーグ(IPL)入りを目指して、今は4軍で汗を流す。15年間のプロ野球漬けから新天地に渡った木村の覚悟に迫った。

 

 足りないのは経験

 10月、国内最後の大会ジャパンカップを戦い終えた木村は、単身でオーストラリアへ渡った。クイーンズランド州にあるプレミアリーグ4部のチームに所属し、トッププレーヤーの証である1部を目指す。これまで何人かの日本人選手が4部に挑戦したが、その壁は高く険しかった。海外挑戦の道を選んだのはなぜか。木村に聞いた。

 

「日本ではほとんど練習もできない環境ですが、オーストラリアに行けば毎日、クリケット漬けの日々を送れます。それが一番の理由です。僕は小さいときから野球をやってきた。そしてプロ野球に入って15年間、ずっと毎日練習をしてきました。そしてうまくなった。クリケットでもそういう環境に身を置ければ、必ず成長すると思っています。オーストラリア行きは昨年、クリケットに転向したときから描いていたスケジュールどおり。南半球はこれから夏なので、たっぷり練習ができますよ」

 

 プロ野球選手というアドバンテージをいかし、クリケット転向後も木村はチームや日本代表の試合でも活躍を見せた。ジャパンカップ最終日の第一試合では連続で6点をマークするなど大活躍だった。しかし、木村はその結果にも満足していなかった。

 

「今日、最初の試合でポンポンと、野球で言うところの柵越えを連発しました。たぶん見ていて"なんだ、クリケット簡単だな"、"アジャストしているんだな"と思われたかもしれませんけど、とんでもない。前日の試合ではダックといって、一点もマークできずにアウトになりました。決して簡単なものじゃないんですよ」

 

 クリケットの難しさ、奥深さに直面しながらも、木村はそれ自体を楽しんでいるようも見える。さらに木村には"元プロ野球選手"としての意地がある。


「子供にとって今はスポーツの選択肢が増えてきましたが、僕らの時代は野球=フィジカルエリートのスポーツでした。学校で一番、町で一番のヤツらが野球をやって、そして勝ち上がってプロ野球に辿り着いた。そうなるとクリケット転向一号の僕としては、"野球選手やっぱりすごいな"と思われる活躍がしたいんです」

 

 クリケットが盛んな南半球、特にオーストラリアではクリケットともにラグビーの人気も高い。日本クリケット協会の宮地会長はこう語る。

 

「オーストラリアなどでは体の大きい子供はラグビーに進み、それ以外の子はクリケットをやります。体力はあるにこしたことはないけど、それだけじゃ勝負が決まらない。それがクリケットの面白さなんですよ」
 ジャパンカップを戦い終えた木村に聞いてみた。「クリケット1年生の木村昇吾に足りないものは?」と。木村はこう即答した。
「経験、ですね。僕に足りないのはそれだけです」

 

 木村はさらに続けた。
「クラブチームのワイヴァーンズに入って、チームメイトにはすごくよくしてもらいました。彼らは僕よりも本当にクリケットがうまい。その差は何かと考えれば、やはり経験なんですよ。彼らは学生時代、もしくはもっと前からクリケットをやっていた。僕はたかだか1年です。差を埋めるには経験を積むしかないんですね。とはいっても日本にいては経験を積むのも難しい。だから僕は海を渡るんです」

 

 今回の渡豪は、思いつきで計画したものではない。クリケット転向後から木村が描いていたシミュレーションどおりの動きである。

 

 オーストラリアに渡った木村は、早速、クリケット漬けの日々を送っている。オフィシャルブログでは笑顔の写真とともに、日々の経験がつづられている。
「向こうでも日本のプロ野球選手ということで注目されると思うんですよ。"なんだ、日本のプロ野球って大したことないな"と思われるのだけは絶対にイヤなんです。やっぱり、"日本のプロ野球ってすごいな"って思わせたいですね」

 

 プロ野球選手のセカンドキャリアとして初となるクリケット転向を果たした木村は、パイオニアとして活動中だ。現在、オーストラリアで孤軍奮闘中する木村の一歩一歩が新しい道となる。アスリートとしての可能性を追い求める木村のセカンドキャリアからこの後も目が離せない。

(取材・文・写真/SC編集部西崎)

 

<木村昇吾(きむら・しょうご)プロフィール>
1980年4月16日、大阪府生まれ。尽誠学園(香川)では3年夏に甲子園出場を果たす。卒業後、愛知学院大に進学し遊撃手でベストナインを5度獲得した。03年、ドラフト11位で横浜に入団。同年3月にプロ初安打を放ち、06年、フレッシュオールスター出場。07年オフ、広島にトレードで移籍し、11年、レギュラー遊撃手として自己最多の106試合に出場、37犠打をマークした。その後も主力選手の負傷欠場の穴を埋めるなどバイプレーヤーとして活躍。15年オフにFA権を行使するも、移籍先が決まらず、埼玉西武にテスト生として入団。16年、練習中に右膝前十字靱帯断裂の重傷を負い、17年は育成選手契約。同年オフ、戦力外通告を受け、クリケットに転身した。18年、クリケット男子日本代表強化選手団に選出される。9月、日本代表の一員として東アジアカップ優勝を果たし、10月、さらなるスキルアップとクリケットプロリーグ関係者へのPRのためにオーストラリアに渡った。目標はクリケット世界最高峰、インディアン・プレミアリーグ(IPL)。


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