僕の古巣・鹿島アントラーズがアジアチャンピオンズリーグを制覇しました。これで鹿島は20冠目。ペルセポリス(イラン)を相手にファーストレグ、セカンドレグともに落ち着いた戦いぶりが印象的でした。まずは、簡単に試合を振り返りましょう。

 

 カシマスタジアムで行われたファーストレグ。アウェイゴールを奪われると痛手です。無失点に抑ながら得点機会をうかがいました。ピンチらしいピンチは、前半4分の場面くらいでした。これは今夏に鹿島に加入したDFチョン・スンヒョンが顔面でシュートブロック。1点の重み、アウェイゴールを奪われることの痛さをよくわかっていたがゆえの気迫あふれるプレーでした。

 

 後半に入るとMFレオ・シルバとFWセルジーニョのゴールが生まれました。この2人の活躍はもちろん、前半と同様に後半もチーム全体でゲームをコントロールできていましたね。相手が焦ってくると簡単にはたいて、プレスをかわす。また、はたくと見せかけて相手DFラインの裏を狙うなど、シンプルながらも強かさも披露しました。最後まで慌てることなく2対0で試合をクローズしましたね。

 

 アザディ・スタジアムで行われたセカンドレグは、序盤からペルセポリスの選手たちが焦っていたように見えました。慌てているだけで、攻守ともにチグハグでしたね。こうなると鹿島的には「しめしめ」といったところでしょう。大きなリスクを冒す必要もなく、0対0の引き分け。2戦合計2対0で悲願だったACL制覇を達成しました。

 

 2人の存在が原点回帰を促した

 

 僕が思うに、悲願のタイトルを獲得できた要因として今夏にジーコがテクニカルダイレクター(TD)として、黒崎久志がトップコーチとして鹿島にカムバックしたことが大きいのではないかと思います。前回でも少し触れましたが、ジーコが戻ってきて現場にピリッとした良い雰囲気が漂っています。さすがジーコといったところです。彼のタイトルに対する情熱、意気込みが選手にダイレクトに伝わったはずです。鹿島特有のタイトルがかかった時の集中力といいますか、勝利の方程式を再度、思い出させてくれたのかなと感じました。

 

 6月に12年ぶりに鹿島に復帰した黒崎は現役時代、僕と一緒にジーコスピリットを叩きこまれたひとりです。兄貴分的存在として彼がジーコとともに現場の空気を締めたのは大きかった。フロントサイドはジーコスピリットを脈々と継承できていましたが、近年現場では希薄になっていたように映ります。ジーコ、大岩剛監督と選手の間に黒崎が入ってチームのネジを締め直してくれました。今でも彼とは連絡を取るし、復帰の際には「帰ってきました!」なんて言いながら鹿島ハイツにも顔を出してくれました(笑)。とても大切な仲間だし、信頼できる男です。

 

 仲間と言えば、もうひとり。川崎フロンターレの指揮を執る鬼木達監督(鹿島OB)には「おめでとう」と言いたいですね。2節を残してリーグ連覇に導きました。今季の川崎Fを見ていて、DFの成熟度が増したなと思いました。実際、リーグ最少失点です(11月29日現在)。鬼木が監督に昇格してから川崎Fに鹿島的な要素が吹き込まれた感じがあります。全体がよりコンパクトに、球際も一層激しくコンタクトするようになりました。

 

 鬼木が監督昇格前の2016年シーズン34試合で39失点、1試合平均失点は1.1でした。鬼木が監督になった昨年は34試合で32失点、平均失点は0.9。素晴らしい数字です。今季はあと1試合を残していますが26失点、平均失点は0.8です。攻撃的ながら失点が多かった大味な試合を展開していたのは、もう昔の話となりつつあります。厄介なチームをつくりましたね。現役時代に自分が体感したことをチームに落とし込んでいるのでしょう。同じ釜の飯を食った者として、鬼木の活躍も非常に嬉しいです。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


◎バックナンバーはこちらから