武田信平(日本アンプティサッカー協会理事長)<前編>「アンプティサッカーに救われた」

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 日本アンプティサッカーは10月から11月にかけてメキシコで行われた世界選手権(ワールドカップ)で過去最高の10位に入った。初出場の2010年アルゼンチン大会の15位から着実に力を付けてきている。代表強化の一方で、組織整備も重要な課題だ。日本アンプティサッカー協会は2016年4月からサッカーJリーグの川崎フロンターレで代表取締役社長、会長を務めた武田信平氏が理事長に就任した。「障がいの有無を超え充実した共生社会の実現を目指す」ことをミッションに掲げる。協会のリーダーとして、普及・強化・ガバナンスの整備の指揮を執る武田理事長にアンプティサッカーの現状を訊いた。

 

伊藤数子: まずはJリーグ川崎フロンターレの代表取締役社長、会長を歴任した後、日本アンプティサッカー協会の理事長に就任された経緯をお聞かせください。

武田信平: 私は2016年4月にフロンターレの会長を退任しましたが、その少し前から日本アンプティサッカー協会の理事長が不在だったんです。そのようなことで5月くらいだったと思いますが、フロンターレの顧問を務めている矢島久仁彦さんから理事長就任の依頼がありました。矢島さんは、長らく理事も務めていらっしゃいます。アンプティサッカーを全く知らないわけではなかったということもありますし、会長を退任したタイミングでもありましたので、”私でお役に立てるならば”とお引け受けしました。

 

二宮清純: その時には既にアンプティサッカーと関わっていたのですね。

武田: そうなんです。実は、2011年の第1回日本アンプティサッカー選手権大会は、フロンターレが運営しているフットサル場「フロンタウンさぎぬま」を会場に使用しました。2014年まではフロンタウンさぎぬまで開催し、2015年からは富士通スタジアム川崎という主にアメリカンフットボールやフロンターレのサッカースクールで使用されているスタジアムで開催しています。富士通スタジアム川崎もフロンターレが運営しているスタジアムなんです。このように日本選手権の会場を提供してきたということで、アンプティサッカーとは繋がりが深いんです。だから今でもフロンターレの選手たちが協力してくれて、選手権の前には大会告知動画に出演してくれています。

 

伊藤: 理事長に就任されてからは、どんなことに着手されたのでしょうか?

武田: アンプティサッカーはパラリンピック競技ではありませんので、国からの強化費は一切ありません。必要な資金は全て自分たちで集めなければなりませんが、たくさんは集まりません。資金が少ないので、スタッフは全員がボランティアですし、事務所も持つことができません。今年はアンプティサッカーのワールドカップがメキシコで行われましたが、ワールドカップに出場するにも、日本選手権を開催するにも、普及・強化を行うにしても先立つものは資金です。

 

二宮: どのスポーツ団体も同じ悩みを抱えていますね。

武田: ワールドカップについてはクラウドファンディングを初めて開設してみました。多くの方のご支援によって遠征資金が集まりました。皆さんのご芳志に心から感謝しています。もちろん、スポンサードしてくれる企業さんにご協力をお願いして回る営業活動もしています。しかし、もう少し集まりやすくする工夫が必要と思い、認定NPOを取る準備を進めています。認定を取ると寄付者が税制上の優遇を受けられるので寄付や協賛金が集まりやすくなる利点があるんです。事務局の強化も必要なのですが、働きながらの活動になりますので思うように人が集まらないのが苦しいところですね。

 

二宮: 2020年東京パラリンピック開催決定をきっかけにパラスポーツの認知度も上がってきています。もちろん大会を成功させることは大事です。しかし、それ以上に大事なのは2020年以降にどう繋げていくかでしょう。

武田: 本当にそう思います。東京パラリンピック後、それまでに大きくなった各団体が組織を維持できるかも重要なテーマです。我々としては、いかに継続的にスポンサードしていただけるか、支援していただけるか、そのような企業や個人の方々にどうアプローチしていくかが課題となります。

 

 アンプティサッカーの魅力

 

二宮: アンプティサッカーを初めて観た時の印象は?

武田: やはりすごいなと驚きました。選手たちのスピードとテクニックがずば抜けている。我々には考えられないようなテクニックを披露するんです。ロフストランドクラッチと呼ばれる杖(通称クラッチ)でバランスを取りながらジャンピングボレーなど華麗なプレーもある。非常に観ていて面白いスポーツだと思いました。

 

二宮: もっと多くの人に知ってもらえれば、伸びる余地は大きいと?

武田: 可能性は十二分にありますよ。まだまだ世に知られていないスポーツですから。今も苦労するのはアンプティサッカーを言葉で説明してもわかりにくいことです。映像か生でプレーを観てもらうことが一番なんですね。だから営業に行く時にはスマホに映像をダウンロードして持ち歩くようにしています。多くの方は映像を観て、「これはすごい」とビックリします。そうやって魅力を実際に目にしてもらうと、「応援するよ」と言ってくれますね。

 

二宮: 競技人口を増やしていく、いわゆる普及活動は全国規模で行っている?

武田: はい。日本の競技人口は100人程度で、まだ国内に9チームしかありません。各チームの選手、スタッフたちが「一緒にやらないか」と声掛けをして、少しずつ増えていっている。それが現状ですね。そうは言っても、全国にはアンプティサッカーを知らない障がいのある方がまだまだいらっしゃると思うんです。協会のホームページを使って、試合の映像を流したり、大会や体験会の告知を行っていますが、急激には広がりません。これが悩みです。是非、体験会などを通じて、アンプティサッカーの面白さを知ってほしいと思います。

 

二宮: それだけの魅力があると?

武田: ええ。それにプレーヤーたちは「競技に救われた」と言っています。パラスポーツの多くがそうだと思います。交通事故や骨肉腫などで足を切断した時、”明日からどうしよう”と絶望感に苛まれた。しかし、アンプティサッカーと出合ったことにより、前向きに希望を持って生きることができるようになったと選手は言います。ある選手は俯きがちの日々から前向きな姿勢を取り戻し、ある選手は義足を隠すために履かなかった半ズボンを履くようになり、ある選手は再びサッカーができる喜びで生きる希望を取り戻し、ある選手は自らの命を絶つことがいかに愚行であったかを思い知ったということなんです。

 

伊藤: まさに希望を与えた存在だということですね。

武田: そうですね。スポーツには人間を元気にする力があると思うんです。だから我々はアンプティサッカーができる環境を、仲間をこの世の中にもっと増やしたいと思っています。

 

(後編につづく)

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武田信平(たけだ・しんぺい)プロフィール>

日本アンプティサッカー協会理事長。1949年12月11日、宮城県出身。中学入学と同時にサッカーを始める。仙台第一高校、慶應義塾大学を経て、富士通に入社する。現役引退後は電算機事業本部ソフトウェア管理部工務課長、ソフトウェア事業本部ビジネス推進統括部長などを歴任した。2000年12月、富士通サッカー部を前身とする川崎フロンターレの代表取締役社長に就任。企業色の強かったクラブの市民クラブ化を推し進めた。2015年4月に社長を退き、会長に就任。2016年4月に会長を退くと、日本アンプティサッカー協会の理事長に就いた。2016年7月から2018年6月、Jリーグの「クラブ経営アドバイザー」を務めた。

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NPO法人STAND代表の伊藤数子さんと二宮清純が探る新たなスポーツの地平線にご期待ください。

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