現役時代、巨人、西武、中日と渡り歩き、いぶし銀のユーティリティプレーヤーとして鳴らした鈴木康友に話を聞いた。

 

 鈴木は昨年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、臍帯血移植などの治療を受けていた。医師からは「移植が成功しても治る確率は4~5割」と言われたが、治療後の経過は良好。この秋には医師から仕事の再開が許可された。

 

 NPBでは選手、コーチとして14回のリーグ優勝と7度の日本一。独立リーグでもBCリーグ・富山の監督としてリーグ優勝、四国アイランドリーグplus・徳島ではコーチとして独立リーグ日本一に貢献した。野球を見る確かな眼力は今も衰えていない。

 

 「ノックで息切れ」

--骨髄異形成症候群と診断される前、自覚症状はありましたか?
「体調の悪さを感じたのは17年の夏ごろ。当時、四国IL・徳島のコーチをしていて、6月と7月に前期と後期のインターバルがある。7月になって久々にグラウンドに出てノックをしたらいつになく息が切れました。そういえば朝、ゴミ出しをするのにちょっと歩いただけで『ゼーゼー』と息切れするようにもなっていた。家族を四国に呼んで愛媛の松山城を見物に行ったら、そこの階段で周りの爺ちゃん婆ちゃんに追い越されたこともあったんです。最初は呼吸器系の病気だと思っていたんですが……」

 

 体調不良に気づいた鈴木は家族の勧めもあり、すぐに病院で検査を受けた。そこで医師には「鈴木さん、よく立っていられますね」と驚かれたという。血液検査の数値は極度の貧血状態を示し、施設の整った大病院で再検査を受けた。そこで血液の難病「骨髄異形成症候群」と診断された。

 

 当時、鈴木がコーチを務めていた徳島は前期優勝を果たし、後期終了後は香川とのリーグチャンピオンシップ(CS)が控えていた。それに勝てばBCリーグとの独立リーグ日本一決定戦・グランドチャンピオンシップもある。大病を抱えた鈴木は病院で輸血を受け、徳島のベンチで戦況を見守っていた。

 

「17年から徳島のコーチに就任して、まずは何が何でも前期優勝を目標にしていました。前期を勝てば、後期はCSを見据えていろいろな選手や戦術を試すことができますから。予定通り前期を勝ち、あとはCS、そしてグラチャン。日本一は大きな目標でしたから休むわけにはいきません。幸いというと変ですが、輸血をすれば体は元気に動くようになるから、ずっとチームと一緒にいられました。日本一を果たしたあとは、アイランドリーグ選抜と一緒に宮崎のフェニックスリーグにも参加しました。周囲は休んだ方がいいと心配してくれましたが、どうしても行きたかった。フェニックスリーグの開催地は宮崎で、巨人時代から縁のある場所ですからね。頭の片隅に『もう、死ぬかもしれない』との思いがあったから、絶対に行きたかったんですよ」

 

 年が明け、鈴木は本格的な治療に入った。3月になり赤ん坊のへその緒から採った臍帯血移植を受けた。
「医者から『造血幹細胞、血をつくる細胞を移植します。ただし移植が成功しても病気が治る確率は4~5割』ですと言われました。当時、クスリの副作用も辛かったし、体内では何だか戦争が起こっている感じがしていました。本当に治るのかなと不安な毎日でしたね」

 

 85キロあった体重は一時、65キロ近くまで落ちた。だが移植後の経過は良好で、6月末には退院。その後、検査の数値も正常に戻り、仕事の再開も許可された。

 

「一度は死を覚悟した身ですから、格好良いことをいうと、自分が何かを残すなら野球しかない、それがこれまで育ててくれた野球界への恩返しだ、と。とはいっても野球しかできることがないんですけどね」

 

 復帰を果たした鈴木は立教新座高(埼玉)のコーチに就任した。高校生を相手にノックバットを振り、守備や走塁のノウハウを惜しみなく教えている。

 

「ノックで息切れするようなことはありません。でもまだまだ握力は戻っていないし、体の抵抗力も弱っているから油断はできない。臍帯血移植によって僕の血は赤ちゃんと同じようにまっさらに戻ったんです。今、1歳半とか2歳の赤ん坊と同じ身だから、まだまだこれからです。そういえば血液型も変わったんですよ。移植したことでO型からA型になった。病気が治ったように、O型の大雑把な性格から変わったらいいんですけどね、アハハハ」

 

 鈴木は同じ病気と戦う人のためにも、今後も広く野球界で活動をしていこうと考えている。朝日新聞(「ひと」10月31日付)に鈴木の病気のことが掲載されると、すぐに読者から手紙が来たという。

 

「偶然にも同じ県内に住む方からでした。その人によると、僕のように半年くらいで退院できるのは早い方なんだそうです。『鈴木さんがまた野球で頑張っているから、こっちも負けていられません』というようなことが書いてありました。僕の命は助けられた命だと思っています。同じ病気の人はもちろん、ガンなど闘病している人に少しでも勇気を与えられたらいいですね」

(この項、つづく)

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高から77年にドラフト5位で巨人に指名され、翌年入団。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。主に守備固めとして活躍し、92年に引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年よりBCリーグ・富山サンダーバーズ初代監督に就任した。10年~11年は埼玉西武、12年~13年は東北楽天、14年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、徳島インディゴソックスの野手コーチを務めて独立リーグ日本一に輝いた。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部コーチに就任。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝は14回、日本一に7度輝いている。

 

(取材・文/SC編集部・西崎)


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