いまでは日本のサポーターも当たり前のように使っている「バモス」というスペイン語が初めて日本に認知されたのは、78年W杯アルゼンチン大会がきっかけだろう。

 

 スタジアムを埋めつくす真っ白い紙吹雪と、響きわたるサポーターたちの歌声。中でも、幾度となく繰り返された「バーモバーモー、アルヘンティーナー」の歌詞とメロディーは、マリオ・ケンペスの勇壮なドリブルとともに、この大会の象徴として記憶されることになった。

 

 もっとも、大会前、アルゼンチンの評価は決して芳しいものではなかった。古い専門誌をひっくり返してみると、当時の専門家たちはブラジルや西ドイツ、オランダなどを優勝候補に掲げていたことがわかる。

 

 特に、結果的にこの大会の準優勝国となるオランダの評価は高かった。無理もない。前回大会の英雄クライフこそ抜けたものの、その他のメンバーはほぼ健在だった。そして、多くの人が、たとえクライフが抜けようとも、トータル・フットボールの素晴らしさは健在のはず、と考えたのだ。

 

 大間違い、だった。

 

 悪いチームではなかった。決勝戦の後半終了間際、レンセンブリンクの一撃があと数センチズレていれば、優勝していたのはオランダだった。ただ、仮に王者になっていたとしても、チーム自体の評価は前回大会とは比べ物にならないほど低いものになっていただろう。

 

 4年前の衝撃は、完全に消え失せていたからである。

 

 確かに抜けたのはクライフ一人だったが、その一人こそは、絶対に抜けてはならないパーツだった。チームから抜けたことで、改めてクライフは自らの偉大さを証明した、ということもできる。

 

 なぜこんな昔話をしたか。ここまでのアジア杯を見ていて、改めて痛感させられるのが大迫と中島の存在の大きさだからである。

 

 なぜこの大会での日本からは、昨年ウルグアイと戦った時のような連動性が感じられないのか。なぜウルグアイと互角に戦えたチームが、サウジにボール保持率で圧倒されてしまったのか。監督が代わっていない以上、どうしたって答えは2人の不在に行き着かざるを得ない。

 

 南野は、堂安は、前を向いてこそ威力を発揮する選手だが、質の高い落としや敵を引きつけてからのパスをもらえないサウジ戦での彼らは、悲しくなるぐらい影が薄かった。勝利こそつかんだものの、その内容は、昨年とは違い、日本人以外にはまったく響かないものに成り下がっていた。

 

 それだけに、大迫が復帰すると予想されるベトナム戦は極めて大きな意味を持ってくる。

 

 もし大迫が戻っても、チームが輝きを取り戻すことができなかったとしたら。チームを軌道に戻すために残された手段は、中島の復帰しかない。つまり、この大会での日本には、内容は期待できないということになってしまう。

 

 内容の伴わないアジアでの勝利は、世界と戦う上で支えとなるだろうか。

 

 勝つことはもちろん大切だ。だが、この大会は日本にとっての最終目的地ではない。勝てばすべてが許される、という考え方を、わたしはどうしても受け入れることができない。

 

<この原稿は19年1月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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