「打たれるのは仕方がない。ピッチャーは打たれるのも仕事」

 千葉ロッテの松永昂大は淡々とマウンドに上がる。“18.44m先で対峙するバッターをねじ伏せる”。そんな気持ちは毛頭ない。だからと言って“打たれてもいい”とは微塵も思っていない。諦念ではないが、“なるようにしかならない”と悟りに近い境地にいるようにも映る。

 

愛媛新聞社

 

 

 

 

 サウスポーの松永は黙々と仕事をこなす職人肌である。ロッテでの主な役割は試合中盤から終盤を任されるセットアッパー。マウンド上では飄々としており、インタビューをしていても飾らない姿が印象的だ。しびれる場面でバッターを抑えても冷静にマウンドを降りる。「“良かった”と思うぐらい。胃がキリキリすることもないですね」。昨年7月20日、ZOZOマリンスタジアムでのオリックスバファローズ戦で通算100ホールドを達成していた時のお立ち台でも「特に何もない。山口(鉄也)さんと宮西(尚生)さんの3分の1くらい。全然大したことない」と浮かれる様子はまるで見られなかった。

 

 北海道日本ハムの宮西はNPB歴代1位の293ホールド、元巨人の山口は同2位の273ホールドをいずれもプロ11年で積み上げた。一方の松永は6年間で26位タイの107ホールドを挙げている。2人に比べればペースは劣るが、昨季はキャリア最多60試合に登板するなどタフネスぶりを発揮した。これで3年連続50試合以上に投げている。プロ入りから6年連続で40試合以上に登板中だ。今やロッテのブルペンに欠かせぬ存在となっている。

 

 「1人1球」が理想

 

 中4日や中6日というローテーションで起用される先発投手と違い、連投も当たり前のリリーフピッチャーはほぼ毎試合でベンチに入る。ブルペンで肩を作るために投げる球数は、試合のマウンドでのそれよりも断然多い。本人によれば「平均すれば毎試合投げている。1日に何回も肩を作ることはありますから」と言うほどだ。

 

 アマチュア時代は先発完投型のピッチャー。リリーフが定位置となったのはプロに入ってからだ。ここまでの6年をハードに感じることはないかと訊ねると、松永は「僕らはもう“こんな感じかな”と慣れてしまいました。もし先発の人たちが経験したら、“中継ぎには二度と戻りたくない”と思うんじゃないですかね」と答えた。ブルペン陣は「1時間先を読む力を身に付ける」という。試合の流れ、打順の組み合わせなどで自らが登板するタイミングを逆算するのだ。

 

 今、松永が理想とするピッチングは「1人1球」である。中継ぎの場合は連日登板する可能性がある。シーズンを戦い抜く上でも、省エネできるに越したことはないのだ。自身の長所は「切り替えの早さ」を挙げる。「打たれて初勝利がかかった投手の勝ち星を消したときには申し訳ないと思うことはありますが、落ち込んでいる暇はありません。明日は来る。そのときにはまた同じバッターとも対戦しますから」。冒頭に紹介した彼の「打たれるのは仕方がない。ピッチャーは打たれるのも仕事」とのコメントも、その切り替えの早さからくるものだろう。

 

 小学3年から野球を始め、高松商業高校、関西国際大学、大阪ガスとアマの強豪を経て、NPB入りした松永だが「野球は嫌いじゃないけど、のめり込んだほどではない」という。昔からプロ野球選手に憧れていたわけではなかった――。

 

(第2回につづく)

 

松永昂大(まつなが・たかひろ)プロフィール>

1988年4月16日、香川県大川郡志度町(現さぬき市)生まれ。小学3年で野球を始める。志度中、高松商業高校を経て、2007年に関西国際大学に入学。関西国際大では3年時より主戦となり、阪神大学リーグ春秋連覇に貢献。4年秋にも優勝を果たすなどリーグ通算23勝(3敗)を挙げる活躍を見せた。大阪ガスでは入社1年目から公式戦登板。2年目にはパナソニックの補強選手として都市対抗に出場、8強入りに貢献した。13年、千葉ロッテにドラフト1位で入団。1年目から主に中継ぎとして、58試合に登板し、4勝1敗1セーブ28ホールドで防御率2.11と活躍した。スリークォーターから投げる鋭く曲がるスライダーが武器。2年目以降も毎年40試合以上に登板し、ロッテのブルペンを支えている。NPB通算成績は308試合に登板し、14勝12敗1セーブ107ホールド、防御率は2.98。身長175cm、体重82kg。左投げ左打ち。背番号28。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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