シーズンオフの間、四国アイランドリーグplusの各球団は地域貢献のために野球教室やイベントを開催するのが恒例だ。愛媛マンダリンパイレーツも県内各地で幼児や学童が対象の野球教室やイベントを実施。入団3年目の堀尾晃生も積極的に講師役として参加し、子供たちと触れ合いながら野球の魅力を伝えた。地域貢献、野球の底辺拡大のために今オフは精力的に動いた堀尾に話を聞いた。

 

 アドゥワから本塁打

 オフは野球教室やイベントで県内のいろいろな場所に行きました。小学生対象の教室では野球チームの講師として、幼稚園のイベントはボール投げとかで子供と触れ合いました。こうした活動を通じて野球に興味を持ってもらうことと、チームの名前を知ってもらう。それで愛媛全体の野球熱を盛り上げられたらと思っています。こういうことはアイランドリーグに入ってなければできなかったことなので、いい経験をさせてもらっていると感じています。

 

 このオフはこうしたチームの活動とともに、トレーニングでは基本を見つめ直して体作りをみっちりと実施しました。ウエイトやランニングなどで土台をしっかりと固めました。打率3割以上、ホームラン10本以上を達成するためにもオフは例年以上に追い込んだトレーニングができたと思っています。

 

 小さいころから身近にあったマンダリンパイレーツに、今はチームの一員として戦い、そしていろいろなイベントに参加しているのがとても不思議な感じがします。僕は小学2年生でソフトボールチームに入り、中学時代はシニアリーグ、高校は松山商に進みました。

 

 高校時代の思い出は2つあって、2年のときの新人戦で今は広島にいるアドゥワ誠(松山聖陵)からホームランを打ちました。そのときのアドゥワの球は「こんなものかな」と思っていましたが、2年秋、そして3年になるとすごくなっていましたね。こっちもNPBに行って、もう一度対戦してみたいです。

 

 もうひとつは高3夏の愛媛県大会、2回戦の帝京第五戦です。相手に3点を先制されたものの5回に1点を返して、それで迎えた6回。ノーアウト一、三塁で得点できないまま2死二塁で打順が回ってきました。そこで坊っちゃんスタジアムのフェンスに直撃するツーベースを打ったんです。当たったのはフェンスの上部だったので、もうあと少しでホームランという打球でした。これで1点差に迫って、その後に逆転してチームが勝ったんですが、実はこのときの打順は7番でした。

 

 それまではずっと4番を打っていたんですが、夏の大会前に監督から「7番が勝負どころになる」と言われて、それで4番から7番へ。最初は僕自身も周りも「なんで7番?」という感じでしたが、自分としては監督の話を聞いて納得して7番に回りました。それがガチでハマッたから今でもこのタイムリーは忘れられませんね。

 

 マンダリンパイレーツに入って一番驚いたことは、自分から動かないといけないということ。高校までは指示を受けてから練習をしていましたが、ここでは個人で工夫して、自発的に取り組むことを意識しないとどんどん置いていかれます。全員が「NPBへ行く」という高い意識を持っている集団だから、今思えば当然ですが、ルーキーイヤーの1年間はずっと「自分で考えてやる」ことがなかなかできずに戸惑っていました。

 

 そんな右往左往の1年目でしたが、自己紹介で「松山商出身の」というと「おお!」と言ってもらえるのが嬉しかったですね。これはひとえに先輩方が築き上げた松商の伝統のおかげなので、僕も松商の名を汚さないようにより上を目指して頑張りたいと思っています。

 

 今季はレギュラーポジションを実力で奪いたいですね。そのためにファーストだけでなくサードの守備にもチャレンジします。チームに入って3年目、勝負の年なのでNPBのスカウトにアピールできるように頑張ります。アピールしたいところは「全球フルスイング!」ですね。憧れであり目標とする松井秀喜さん(元ヤンキースなど)のように正確さとパワフルさを持ったバッターを目指します。自分自身のNPB入り、そしてチームとしては優勝と独立リーグ日本一が目標です。それに向けていよいよ全体練習も始まりますので、今季も応援よろしくお願いします。

 

<堀尾晃生(ほりお・こうき)プロフィール>
1998年11月20日、愛媛県出身。小学2年でソフトボールチームに入り、中学進学後はシニアリーグに所属。サードのレギュラーとして活躍し、高校は古豪の松山商へ進学した。1年時からベンチ入りを果たし、強打のファーストとして主軸を任された。同学年のアドゥワ誠(広島)の松山聖陵、大本将吾(福岡SB育成)の帝京第五らライバル校と鎬を削ったが、甲子園出場は果たせず。17年、地元球団、愛媛マンダリンパイレーツの入団テストを受けて入団。2年目の18年、バン・ヘイドーンが負傷した際には4番を任されるなど頭角を現した。右投右打。身長175センチ、体重87キロ。


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