ブラインドサッカー(視覚障がい者5人制サッカー)は2020年東京パラリンピックの正式競技のひとつである。2002年に設立された日本ブラインドサッカー協会(JBFA)は<ブラインドサッカーを通じて視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会を実現すること>をビジョンに掲げ、共生社会実現を目指している。JBFAはパラスポーツ団体として、いち早く観戦チケットの有料化を進めてきた。2018年にJBFA新理事長就任した塩嶋史郎氏に今後の展望を訊いた。

 

伊藤数子: 昨年10月に日本ブラインドサッカー協会(JBFA)の理事長に就任されました。これまで理事、副理事長を歴任してきましたが、ブラインドサッカーとの出合いのきっかけを教えていただけますか?

塩嶋史郎: 2005年にボランティアとしてブラインドサッカーに接する機会があったんです。そのときに“なんてわかりやすいスポーツなんだろう”と思いました。とてもカッコ良く映り、そこからのめり込んでいきました。

 

伊藤: 過去には「分かりやすくてスタイリッシュなスポーツだ」とも表現されていますね。

塩嶋: ええ。試合展開もスピーディーで激しく観ていて面白い。訴求力があり、非常に魅力的なスポーツだと感じました。

 

二宮清純: 10年以上、ブラインドサッカーに関わってきて、競技環境の変化などをどうお感じになっていますか?

塩嶋: そうですね。当時はまだまだ認知度が低かった。「ブラインドサッカーを知っていますか?」と聞いても知らない人がほとんどでした。現在、競技人口は500人を超えて、増加傾向にあります。

 

二宮: 塩嶋さんはJBFA理事長を務めながら、アクサ生命にも勤められているビジネスマンです。同社はJBFAのパートナー企業ですよね。

塩嶋: はい。2006年からJBFAのサポートをしています。「一企業人である前に一企業市民であれ」という言葉が、私を突き動かしています。弊社は「会社から離れていても貢献できる。そういう人材になれ」との理念があります。だから私自身がブラインドサッカーと関わっていくことは自然な流れでしたね。

 

 自主財源の確保

 

伊藤: 10年以上前は、パラスポーツ競技団体のパートナー企業が少なかった。

塩嶋: ブラインドサッカーの中では一番付き合いの長い企業ですね。現在、JBFAはおかげさまでパートナー企業も12社に増えました。2020年に向けて追い風が吹いているのは事実です。我々としては手を差し伸べていただくという感覚ではなく、各企業に価値を提供することで協力していただきたいと思っています。

 

二宮: 各パラスポーツ団体にとって、2020東京パラリンピックが終わった後、いわゆる「ポスト2020」をどう迎えるかは大きな課題です。

塩嶋: そうですね。パラスポーツ団体は一般的に、かつては事務所ひとつとってもマンションの一室を借りてはいるものの、電話番すらいないという時代もありました。でも、我々は、今は有給のスタッフが30名ほど、事業に携わっているメンバーが60人ほどいます。ひとつの企業のようなかたちで動ける体制になってきています。我々は事業型のNPO法人を掲げていて、助成金頼みではない経営を進めているんです。その点ではパラスポーツ団体としては、先を走っているのかなという自負があります。

 

伊藤: 事業型のNPO法人というのはとても先進的です。

塩嶋: パラスポーツ団体は助成金を取ったら、何もなくなってしまった、という組織ではダメです。今は2020年東京パラリンピックが後押ししてくれている面はあるものの、大会が終わっても競技団体は続いていくわけですから、人材の確保も必要ですし、自主財源をつくっていかなければいけません。

 

二宮: パラスポーツ団体としては珍しく観戦チケットを有料化しています。

塩嶋: はい。我々としては、チケット代をいただく分、魅力あるスポーツとして提供することを考えています。例えば会社帰りでも観戦できるようにキックオフ時間を調整したり、アクセスを重視して原宿のフットサルコートで2014年世界選手権、2015年アジア選手権を開催したこともありました。会場では障がいのある方や、お年寄りなどにも試合観戦を楽しんでいただくためにリレーションセンターを設置しています。誰もが試合を楽しめるようなサービスを提供し、観戦環境を整えています。

 

(後編につづく)

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塩嶋史郎(しおじま・しろう)プロフィール>

日本ブラインドサッカー協会理事長。1954年、栃木県出身。アクサ生命保険株式会社に勤務。1978年、日本団体生命保険株式会社(現・アクサ生命保険株式会社)入社。全国各地の営業店で営業所長、支社長、エリア営業部長などを務めた後、営業教育、人事研修、社員サービスなどの部署で活躍。ブラインドサッカーには2005年からボランティアとして関わり、2011年より日本ブラインドサッカー協会の理事、2012年に同副理事長に就任。2018年から現職に就く。2019年、日本障がい者サッカー連盟の理事にも就任した。


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