子どもを死に至らしめる虐待事件が相次いでいる。

これを受け、政府・与党が児童虐待防止に向け、両親など家庭内の体罰を禁止する法改正の検討に入ったと、17日付けの毎日新聞が報じていた。

 

 記事によると民法で定められた「懲戒権」(親に認められている子どもを戒める権利)の削除などの見直しを目指すという。「しつけ」を口実にしての「虐待」がこうも続けば、見直しは当然だろう。

 

 評論家・渡辺京二の名著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)には、幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の見聞記や感想記が詳しく紹介されている。本書には「子どもの楽園」という章があり、たとえば英国の紀行作家イザベラ・バードは1878年(明治11年)の日光での見聞として<私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。(中略)他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている>と述べている。

 

 また鎖国期の日本に医学者・植物学者として長崎の出島に滞在したスウェーデン人のカール・ペーテル・ツュンベリーは<注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった>と書いている。いったい、いつから日本人は古くから持ち合わせていた美徳や子供に対する作法を失念してしまったのだろう。

 

 野球界からも現状を憂う声が上がっている。横浜DeNAの筒香嘉智は少年野球の現場に散見される「罵声」や「暴力」を問題視し、<勝つためには、どうしても監督は選手を、自分の言う通りに動く駒として育てようとします。その指導に従わなければ監督や親から怒られるので、選手も大人たちの顔色を見てプレーをすることになり、自分で答えを見つけ出そうとしなくなります>(自著『空に向かってかっ飛ばせ!』文藝春秋)と指導者の行き過ぎた「懲戒権」が、子どもたちがスポーツを通じて育むべき創造性や主体性にマイナスの作用を及ぼしていると指摘している。

 

 国連の「子どもの権利委員会」は今月7日、子供への体罰禁止に関する法整備を急ぐよう、日本政府に勧告したばかりである。スポーツ界にとって、これは対岸の火事ではない。

 

<この原稿は19年2月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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