亥年生まれの同級生たちは皆、今年還暦を迎える。早生まれの私は1年の“猶予”があるが、赤いちゃんちゃんこが近づいてくると思うとゾッとする。あれを着せられるくらいなら、苦手な納豆を、鼻をつまんで数粒口に運ぶほうがまだマシだ。

 

 同級生ながら、永遠に“タメ口”をきけそうにない男がいる。巨人、西武、中日でバイプレーヤーとして活躍し、コーチ時代も含めると14回のリーグ優勝と7回の日本一を経験している鈴木康友だ。

 

 今から42年前、四国の片田舎の駅の売店で買ったスポーツ紙の写真が忘れられない。学生服姿の鈴木の隣には、あの巨人軍監督・長嶋茂雄が立っていたのだ。

 

 天理高の4番ショートとして甲子園で活躍した鈴木は早大のセレクションを受け、入学が「内定」していた。それをかっさらっていったのが監督就任3年目の長嶋だった。「キミは僕の弟のような気がする」。それが殺し文句だった。

 

 同級生が天下の長嶋さんの弟……。おそらく全国の同級生の中で、長嶋さんとツーショットで写真に収まったのは鈴木が第1号だろう。初めてのキャンプで長嶋は鈴木に言ったという。「どうだノブヨシ、調子は?」。もうひとり同姓のルーキーがいた。名古屋電気高出身の鈴木伸良。「弟はいったい何だったんだ……」。

 

 その鈴木が白血病の前段階とも呼ばれる「骨髄異形成症候群」と診断されたのは一昨年の8月のことだ。鈴木は独立リーグの徳島でコーチを務めていた。ノックを打つたびに肩で息をし、階段を上がる際にはヒザに手を置いた。

 

 昨年3月には、都内の病院で赤ちゃんのへその緒から採った血液(造血幹細胞)を使う臍帯血移植手術を受けた。医師からは、たとえ手術が成功したとしても、「完治する確率は5~6割」と告げられた。併せて10人中7人は退院できるが、その7人のうち2人は2年後に感染症で亡くなっているという事実も突きつけられた。「要するに数年先まで生きていられるのは2人にひとりということでしょう」。

 

 死を覚悟しながら、それでも手術に踏み切ったのは、「まだ後輩たちに伝えたいことがある。僕を育ててくれた野球に恩返しがしたい」から。手術後、以前にも増して頻繁に会うようになった。“同級生の星”は今も煌々と輝いている。

 

<この原稿は19年2月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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