世界選手権3連覇中のフリークライマーがいる。視覚障害カテゴリー(B1=全盲)の小林幸一郎だ。今年2月に51歳なったパラクライマーは、視覚障がい者のフリークライミングの普及活動を行うNPO法人モンキーマジックの代表と日本パラクライミング協会の副代表を務める。第一人者が見据えるパラクライミングの未来とは――。

 

 パラクライミングには視覚障害、切断、神経障害と3つのカテゴリーがある。カテゴリー内で障がいの程度によってクラス分けされる。視覚障害のカテゴリーは程度が重い順にB1、B2、B3の3つ。現在、昼か夜かが分かる程度の視力しかない小林はB1に属している。

 

 競技は、約15mの人工壁に設置された40手以上のホールド(人工の突起物)に手足を使い登って争う。完登を目指しながら、どこまで登れるかを競う。スポーツクライミングのリード種目に近い。大きな違いはパラクラクライミングの視覚障害カテゴリーの場合はナビゲーターと呼ばれる、案内役がいることだ。

 

 まず選手は登る前にコースを暗記するところから始める。ホールドの位置と形状を覚え、どう攻略していくかを頭の中でイメージするのだ。競技中はナビゲーターが声を上げて選手にホールドの位置を知らせる。例えばナビゲーターが「12時の方向」と言えば真上、「11時の方向」と言えば左斜め上を差す。自らのイメージと、ナビゲーターの指示とで微調整しながら、完登を目指す。

 

 2月に東京・杉並で行われたパラクライミング日本選手権は、B1クラスで圧勝した。今大会は8月の世界選手権(東京・八王子)の代表選考も兼ねていたが、小林は2018年世界選手権(オーストリア・インスブルック)で大会3連覇を果たしており、既に出場権を手にしている。「とはいえ、恥ずかしいパフォーマンスは見せられなかった」と本人は言った。

 

 夏の世界選手権に小林はV4を懸ける。

「大会に出る以上は勝ちたい。僕が競技大会に出られる間に、自分の国で世界選手権が開催されることはもう二度とないかもしれません。だから後悔はしたくない。ただ結果はついてくるものでしかない。だからどんな結果だとしても、そこに向かって頑張るだけです」

 

 50歳を超えても世界王者で居続ける彼がクライミングと出合ったのは16歳の時である。年号はまだ昭和だ。小林が山岳情報誌『山と渓谷』を読んでいた時、ふと目に留まったのがクライミング特集だった。元々、運動は得意ではなかった。中高と部活動にも入っていない。それでも小林は雑誌に載っている情報を元に、体験教室に参加したのだった。

「僕は小中学校ほとんど運動してこなかった。全然登れませんでしたけど、誰とも比べられないし、勝ったり負けたりもなかったんです。自分の目標に向かって、自分のペースで頑張ればいい。それがすごく楽しかったんです」

 

 すぐにクライミングの虜になった。この時に登った長野県の小川山はフリークライミングのメッカ。小川山は小林が今でも登りに向かう「初心に帰る」場所である。

 

 視界が開けた言葉

 

「クライミングを通じて自分のコミュニティが広がり、いろいろな意味で楽しみが増えました」

 自らの世界を広げたクライミングに小林は夢中になった。

 

 そんな小林を突然の病魔が襲う。彼が28歳の時である。「それまでずっと目が良かったんです。車を運転していて、なんとなく前が見えづらくなってきた。“眼鏡をかければいいんだ”と思って眼鏡屋に行ったのがきっかけでした」。眼鏡屋に病院へ行くことを勧められた小林は、「網膜色素変性症」と診断された。進行性の病で、徐々に目が見えなくなるというのだ。「将来は失明する」と宣告されたのだが、「その時はまるで実感がわかなかった」と言う。

「最初はとても自分のこととは思えませんでした。だってその日も自分で運転して病院に行き、診断を受けた後も車で運転して帰りましたからね」

 

 しかし、症状が進むにつれ“次は何ができなくなるんだろう”との恐怖心がどんどん膨れ上がっていった。「見えない未来に対する不安しかなかった。自暴自棄のような気持ちになる時もありました」。そんな小林を救ったのは、あるケースワーカーの言葉だった。

 

 ある日、小林が「先生、僕はこれから何ができなくなるんでしょうか? その日のためにどう準備すべきですか?」と訊ねると、こう返ってきたという。

「これから何ができなくなって、どう準備したらいいのかと言われても私たちは何もできません。もっと大事なことがあって、それは何ができなくなるかではなくて、あなたが何をしたいのか。どうやって生きていきたいかです。それが分かっていれば、私たちだって、周りの人たちだって、それに社会だって、あなたのことを支えられるはずです」

 

 その一言で目の前の霧が晴れた。

「それまではマイナスにしか考えられなかったんです。すごく重い荷物を自分で背負っている感じだったんですけど、その荷物を下ろしてもらった」

 

 2002年に渡米した際には全盲の登山家エリック・ヴァイエンマイヤーと会った。ヴァイエンマイヤーは世界7大陸最高峰完全制覇という偉業を成し遂げていた。

「当時も細々とではありますが、クライミングを続けていました。自分がどうやって生きていくかというアイデンティティを探している時でした。視覚障がいがあっても自分はクライミングをできている。だったら、それをもっと多くの人に伝えるべきじゃないのか、それが自分だからこそできることなんじゃないかと思ったんです。そのことをエリックに聞いたら、『アメリカではたくさんの障がいのある人がクライミングを通じて、新しい自信や可能性を気付けている。日本でまだ誰もやっていないのであれば、それはキミの仕事なんじゃないか』と言ってもらえたんです」

 

 アメリカ人の言葉はモヤモヤとしていた小林の背中をポンと押すものだった。帰国後の05年8月、NPO法人モンキーマジックを設立。全国各地で視覚障がい者のフリークライミング普及活動を行っている。14年には茨城県つくば市に障がい者も利用できるボルダリングジム「モンキーマジックつくばQ’t」をオープンした。

「約14年やってきて、すごく手応えを感じています。東京だけではなくて札幌から熊本まで全国のいろいろな地域で仲間たちが同じような活動をしてくれている。2018年でいうと、我々が主催している東京、横浜、つくばの3地域を除いても延べの参加者数は1100人を超えていて、そのうちの障がい者の数も350人弱いるんです。いろいろな人たちがクライミングを継続できるということを伝えられている。それは自分にとって極めて大きな幸せです」

 

 一生涯の“友だち”

 

 16歳で出合ったクライミング。小林は「僕は目が見えていた時も見えなくなってからもクライミングの楽しさ、素晴らしさは何も変わっていないです」と語る。それを伝えるモンキーマジックの活動を小林は「2度目の出合い」と表現する。

「モンキーマジックを通じて、たくさんの人にクライミングの楽しさを伝えるということができるようになった。それが僕にはクライミングとの2度目の出合いなんです」

 

 小林にとってのクライミングとは何なのか――。51歳のパラクライマーは無邪気な表情を見せ、こう答えた。

「友だちです。すごく近くにいる時があれば、ちょっと距離ができる時もあるかもしれない。でも僕にとってすごく大事な存在で、一生涯、その友だちと過ごすと思います。クライミングは自然の岩を登ったり、ジムなどで人工壁を登ることもある。幸い今はまち中にジムが増えて、競技を続けられる環境がある。大会に出なくても、クライミングを楽しむことは身近にある。だから僕にとって生涯の“友だち”なんです」

 

――では壁とは?

「クライミングは失敗するスポーツです。うまくいかなくて失敗して落ちて、“どう登ればいいんだろう”と工夫をする。そうすることで届かなかった次のホールドに手が伸びたり、最終的にはゴールまでいける。僕にとっての壁は失敗する、工夫するプロセスを生むもの。だから壁は人として自分を成長させてくれるものだと思っています」

 

 小林にとってクライミングとは友であり、人生である。そこに障がいの有無は関係ない。人は知らず知らずのうちに“見えない壁”作ってしまいがちだ。

「僕は“見えない壁”は誰もが持っていると思っています。モンキーマジックのコンセプトは『見えない壁だって、越えられる。』となっていますが、“見えない壁”は僕たちが感じるものではなくて、人それぞれが心の中でつくっているものだと思います。相手との接点がないと、人は“見えない壁”をつくってしまう。障がいのある人たちのことを世間が理解しないのではなくて、理解に繋がる機会が少ないんだと。だから僕はクライミングを通じて、障がいの有無に関わらず普通の関係性、距離感を築けるような社会にしたい」

 

 競技者として岩や壁と向き合いながら、“見えない壁”にも挑んでいくという。

「どこに住んでいても、クライミングをもっと身近に楽しめる環境をつくっていきたい。競技大会を目指す人、自然の岩に挑戦する人、健康のためや仲間と楽しい時間を過ごすためにクライングジムで登るという人もいる。そういう選択肢を持てるぐらいクライミングが世の中に広がっていったらうれしいです。昨年はアフリカのケニアでやりましたけど、海外の視覚障がいのある人にもクライミングのチャンスを届けたいです」

 今後も普及活動を通じて、社会を変える一手を掛ける。157cmの小柄なクライマーが見る夢は大きい。

 

小林幸一郎(こばやし・こういちろう)プロフィール>

1968年2月11日、東京都生まれ。16歳でフリークライミングに出合う。大学卒業後は旅行会社、アウトドア衣料品販売会社などの勤務を経て独立。28歳で進行性の眼病「網膜色素変性症」と診断された。05年、視覚障害者のフリークライミング普及活動を行うNPO法人モンキーマジックを設立し、代表理事に就任。18年には日本パラクライミング協会の副理事にも就任した。パラクライミング世界選手権では3連覇中のB1と、B2合わせて4回 優勝。

 

(写真:© BS11)

 

 BS11では「ザ・チーム」(毎週金曜22時~22時30分)を放送中。アスリート個人ではなく“チーム”に焦点を当て、仲間と共に困難や苦境に挑み続ける「ひたむきさ」や「折れない強さ」を描いています。3月8日(金)の放送回はパラクライマー小林幸一郎選手の特集です。是非ご視聴ください。また4月より放送日が毎週土曜21時~21時30分へ移動します。


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