小野仁(白寿生科学研究所人材開拓課)第73回「就活シーズン到来! 学生に伝えていること」

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 皆さん、こんにちは。2カ月ぶりの小野仁です。私は2005年の春から”花粉症デビュー”し、3月になると目はかゆい、鼻水は出る、くしゃみが止まらない……この3つの症状が約2カ月も続いてしまい非常に憂鬱になっています。とはいうものの、3月は卒業や就職、転勤、進学など、さまざまな事情で新しい環境へと向かう季節でもあり、昼間は上着がなくても過ごせるほど暖かくなりました。春の訪れと同時に心が躍り弾む季節だなと感じています。


 さて今回は、この時期から本格的にスタートする大学生の就職活動についてお話しましょう。私は仕事で就活生に関わっており、白寿生科学研究所で活躍してくれる営業マンを獲得するのが最大のミッションであります。そしてもうひとつの仕事は「アスリートエージェント」という事業で、大学の体育会学生に特化した就職支援、それと元アスリートのセカンドキャリア支援を行ってます。

 

 大学の野球部をはじめ各部へ足を運び、監督や関係者の方々へ会社や事業の説明、他の人材紹介会社との考え方の違いなどをお伝えし、1人でも多くの学生に対して就活サポートができるよう、関東近郊の大学を中心に訪問しております。

 

 前年12月頃から新4年生となる大学生に対して個別面談を実施し、彼らの就活に対する考えや将来へのビジョン、なりたい人物像など、今後についてどう考えているのかを紐解いていきます。それを把握した上で的確なアドバイスを伝えていこう、最良の提案をしていきたいと考え、面談相手に対し親身になってサポートをしています。

 

 面談相手は野球部の学生が多くを占めていますが、将来のことを聞くと「プロ野球に入りたい」「社会人野球に行きたい」「公務員(警察・消防など)になりたい」「大手企業に入社したい」など、それぞれが思い描く将来を熱く語ってくれます。しかし、すべての学生が明確なビジョンを持っているわけではありません。多くの学生は「目標はありません……」「仕事で何をしたら良いのか分かりません……」「自分がどんな仕事に向いてるか分からないんです……」「就活といっても何から始めればいいのか……」と不安ばかりを口にします。

 

 面談する野球部の学生のほとんどが子供時代からずっと野球を続けてきています。ある意味で勉強は二の次と考え、野球に人生をかけてきた人間ばかりです。その学生たちがいざ就職となると「野球しかやってこなかった……」という思考に陥ってしまい、一生懸命野球を続けてきたことをネガティブに捉えはじめてしまいます。野球ばかりやっていたから、「あれもできない」「これもできない」と可能性を自ら狭めてしまっています。

 

 そんな学生たちには、これから待ち受ける就活で履歴書作成や面接が行われる中、ネガティブな思考のままでは選考も難しくなると伝えています。

 

 まずは野球というスポーツの中で夢を見つけ、そして夢を現実にするために目標を作り、一心不乱に頑張ってきた。それを前向きに捉え、目標に対して自分がどういう取り組みをし、どんな気持ちで困難を乗り越え、どの様に成長をしたのかなど、自身の経験に基づく事項をより具体的に考えることから始めた方が良いと話しています。また、野球から何を学び、自分自身がどう変わったのかを自信を持って話せるようになれば、おのずと就活でも役に立つとアドバイスを送り続けています。

 

 この仕事に就き、学生にアドバイスをするようになってから、自分も日々得ることの多い毎日です。常に自分自身を見つめ直し、そして今の自分に何ができるのか、何をしなければならないのかと考えられるようになりました。ただ、ときには過去を振り返ってしまい、後悔してしまうことも正直あります。自身の過去などは誇れるものではありませんが、自分がしてきた多くの失敗を学生に聞いてもらい、「新たな人生を一歩踏み出す前にマインドセットが重要だ」ということを心から伝えています。

 

 野球が大好きで一生懸命に頑張ってきた学生たちが社会に出て、どんな困難にも立ち向かい、立派になって輝けるよう、想いを込めて就活生ひとりひとりにこれからも熱く自分の思いを伝えていこうと考えています。

 

 今回はなかなか実態を知ることができない就活支援について書かせていただきましたが、いかがでしたか? 花粉症でつらいシーズンではありますが、春は何かを始めるにもぴったりの季節です。私自身はこの冬についた脂肪の除去のために有酸素運動を始めました。3日坊主にならないよう、野球で培った忍耐力で頑張りたいと思います。では、また次回。

 

<小野仁(おの・ひとし)プロフィール>
1976年8月23日、秋田県生まれ。秋田経法大付属(現・明桜)時代から快速左腕として鳴らし、2年生の春と夏は連続して甲子園に出場。94年、高校生ながら野球日本代表に選ばれ日本・キューバ対抗戦に出場すると主軸のパチェーコ、リナレスから連続三振を奪う好投で注目を浴びた。卒業後はドラフト凍結選手として日本石油(現JX-ENEOS)へ進み、アトランタ五輪に出場。97年、ドラフト2位(逆指名)で巨人に入団。ルーキーイヤーに1勝をあげたが、以後、制球難から伸び悩み02年、近鉄へトレード。03年限りで戦力外通告を受けた。プロ通算3勝8敗。引退後は様々な職業を転々とし、17年、白寿生科学研究所に入社。自らの経験を活かし元アスリートのセカンドキャリアサポートや学生の就職活動支援を行っている。

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