ここでそれをやりますか。感嘆。驚嘆。ただただ脱帽。前日の明け方、そんな気分になったサッカーファンも多かったに違いない。

 

 C・ロナウドである。

 

 敵地での第1戦は0-2。これだけでも十分に苦しい状況だというのに、相手は守りの堅さには定評のあるA・マドリードである。ユベンティーノとしても、心のどこかで諦めていた気持ちがあったのではないか。

 

 そんな状況でのハットトリック。間違いなくトリノの奇跡として記憶されていくであろう伝説的な逆転劇だった。

 

 わたしは、サッカーにおける得点の価値は必ずしも平等ではないと思っている。先制弾や同点弾、逆転弾といった重要な意味を持つ得点と、大差がついた状況で生まれる得点が同じ価値であっていいはずがない。

 

 19年3月12日のトリノでクリロナが叩き出したのは、いずれも非常に大きな意味を持つ得点だった。欧州CLでハットトリックを演じるだけでも特別なことだというのに、3ゴールすべてが値千金のハットトリックとなると……わたしには思い当たる達成者の名前がない。

 

 実を言えば、彼がマンチェスター・Uに加入が決まったとき、そしてベッカムがつけていた背番号7が用意されたと聞いたとき、わたしは彼に同情した。まだ朴訥さをたっぷりと漂わせた17歳には、あまりにも荷が重すぎると思えたからだ。もちろん才能はあったのだろうが、後に世界最高の選手か否かで論争を引き起こすような存在になろうとは、夢にも考えなかった。

 

 だが、結果を残すたびに、彼の表情からは朴訥さが消えていった。垢抜けなかった少年が、ハッと息を呑むほどのオーラを放つようになっていった様は、さながら現代における「みにくいアヒルの子」を見ているようでもあった。

 

 なぜ彼は、それほどまでに豹変を遂げることができたのか。理由の一つとしてあげられるのは、置かれた環境の過酷さ、だろう。図らずも体験した激しいバッシングによって、彼はタフになった。そして、痛み、苦しみを乗り越えた自信が、決定機における異様なほどの落ち着き、勝負強さを生んだ気がする。

 

 環境は、才能と同じくらい、ひょっとしたらそれ以上に、選手の将来を左右する。

 

 先日、旧知の元Jリーガーと酒を呑んでいるときにこんな話が出た。

 

「ちょっと凄くない?」

「やっぱりそう思います? ちょっと凄いですよね」

 

 久保建英の話である。開幕戦でも驚かされたが、嬉しいことに、あれは彼のピークではなかった。ボールを持ったら絶対に取られないという安心感は、もはやFC東京にとって欠かせないものとなった。大げさではなく、彼のプレーを見るためだけに会場に足を運ぶ価値はある。

 

 なので、これからはできるだけ彼に厳しい目を向けていこうと思う。鳥栖戦でのアシストは見事だった。けれども、あれは2点目で、クリロナが決めたほどに重要なものではなかった。

 

 久保はもう、そうした得点の演出を期待され、それに応えなければいけない存在である。

 

<この原稿は19年3月14日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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