1週先は闇、とはよく言ったものである。ロケットスタートに失敗したことは明らかながら、すぐ軌道修正をしてくるはず、と多くの人が予感していたはずの川崎Fが、ちょっと難しい局面に立たされている。ホーム3試合を含む4試合を終えての勝ち点3は、誤算も誤算、大誤算だろう。

 

 以前、監督経験のある知人からこんな話を聞いたことがある。

 

「ひどい内容で負ければ、もちろん腹は立つんだけど、切り替えはむしろしやすいんだ。やらなきゃいけないことが自分にも選手にもわかりやすいから。難しいのは、内容もほぼ期待通りなのに、結果がついてこないとき。原因がわかりにくい分、人間関係にまで軋みが出てくることがある」

 

 確かに、相手の実力や出来が自分たちより上だったと痛感させられる負けであれば、気持ちの上での整理はつけやすい。出来の悪かった選手を次の試合から外すことも、本人も含めた誰もが当然のことと受け止める。

 

 だが、先週、先々週の川崎Fは、2試合続けてアディショナルタイムに痛恨の一撃を許してしまった。普通に行けば勝ち点6、悪くても4は獲得できていた内容だったが、実際に得られた勝ち点はわずかに1だった。「あいつがあそこで決めていれば」「あのミスがなければ」……口には出さずとも、そう考えてしまう選手がいても不思議ではない。

 

 サッカーは、もちろん戦術、戦略を競い合う競技ではあるものの、しかし、プレーするのは人間である。

 

「彼が素晴らしかったのは、俺たちを信じてメンバーを固定し、他にはなにもしなかったことだ」――名将と謳われたテレ・サンターナをそう評したのは、ブラジル代表の伝説的なキャプテン、ソクラテスだった。誤解を招かないように付け加えておくと、“ドトール”はテレを小馬鹿にしていたわけではない。なかなかできることではない、と最大級の敬意をうかがわせる口調でのテレ評だった。

 

 監督には、動かないことが正しいこともある。ただ、ほとんどの場合、周囲は動くことを要求し、その圧力は、悪循環が続けば続くほどに大きくなる。

 

 さて、鬼木監督はどうするか。

 

 結果を残した監督、ファンに愛された監督、チームを変えた監督。そんな前任者のあとを引き継ぐのは、世界中どんな監督にとっても簡単なことではない。完全なる前例踏襲ではナメられる。自分の色を出そうとしすぎれば反発を受ける。だが、鬼木監督は風間前監督が浸透させたエッセンスを損なうことなく、かつ、前任者が到達できなかった高みにまでチームを導いた。このことは、もっともっと高く評価されていい。

 

 昨年も苦しい時期がなかったわけではない川崎Fだが、現時点での状況は、鬼木体制になって最大のピンチである。2年前、広島で似たような状況に陥った森保監督は苦境から脱することができなかったが、それだけに、ここからの立て直しに成功すれば鬼木監督の経験値と自信は一気に跳ね上がる。いやいや、序盤から目の離せない、今年のJリーグである。

 

<この原稿は19年3月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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