マリナーズのイチローは2012年以来、7年ぶりにメジャーリーグの開幕を日本で迎える。20日、21日に東京ドームでアスレチックスと戦う。稀代のヒットメーカーはベンチ入りが決定しており、スコット・サービス監督は起用も明言している。45歳のイチローは自身の野球哲学を貫き、日米通算4367安打など数々の記録を打ち立ててきた。そんなイチローには求道者の一面がある。17年前の原稿で、イチローの野球哲学に迫る。
<この原稿は『東海総研MANAGEMENT』(東海総研研究所)2002年1月号に掲載されたものです>
昨季、シアトル・マリナーズのイチローがアメリカン・リーグのMVP(最優秀選手)に輝いた。MVPは全米野球記者協会所属の28名の記者の投票によって決まる。ちなみに、1位の順位得点は14点。2位は9点、3位は8点と下位にいくに従って、1点ずつ減っていく。
イチローは11人と最多の1位票を得たが、7位票が2票もあるなど、いわゆる“死に票”が多く、総得点では昨年のMVPオークランド・アスレチックスのJa・ジオンビに8点差(イチロー289点、ジオンビ281点)にまで迫られた。
イチローはメジャーリーグに転籍した昨シーズン、素晴らしい活躍を演じた。イチローがマークした主な記録は下表のとおり。首位打者、盗塁王、最多安打などのタイトルに加え、MVP、最優秀新人、ゴールドグラブ賞、シルバースラッガー賞を受賞した。
イチローの主な記録
【大リーグ記録】
▼安打試合 135
【大リーグ新人記録】
▼年間安打 242
【ア・リーグ記録】
▼年間単打 192
【ア・リーグ新人記録】
▼打率 3割5分
【マリナーズ記録】
▼年間安打 242 ▼複数安打試合75
【マリナーズ新人記録】
▼連続試合安打 23 ▼盗塁 56 ▼得点 127 ▼塁打 316
MVPに選ばれた際の記者会見で、イチローは次のように語った。
――受賞すると思ったか?
「取れるとは思っていなかった。(MVP候補の)メンバーの中に自分の名前があるということに、とても喜びを感じ満足していた。期待すると取れなかったときの落胆が大きいから。できれば取りたいという気持ちはあったが、取れるという確信はなかった」
――新人王とは別の概念があるか?
「全く違うものだと思っている。これだけのチーム、これだけの選手の数、素晴らしい選手が多い中でMVPに選ばれたのは、ものすごく思いことだと感じている」
――30代の選手が活躍している中で、年齢に対する考え方や意識は変わったか?
「彼らの自己管理、意識の高さは素晴らしい。長くやるのはとても難しいこと。シーズンを重ねるごとに磨きをかけ、体力が落ちても、それまでに得た経験によってカバーしたい」
――米大リーグの大きな賞を2つ同時に獲得したが、次の大きな目標は?
「選手として自分を磨いていくことが目標になる」
「神の決め事」を超える
ワールドシリーズ出場こそ成らなかったものの、イチローが起こしたセンセーションは長いメジャーリーグの歴史においても特筆すべきものだった。
印象深いのはクリーブランド・インディアンズとのディビジョン・シリーズの第5戦、イチローは3本のヒットを放ってリーグチャンピオンシップにチームを導く立役者となったわけだが、この3本のヒットがいずれもインフィールドヒットだった。
私はスポーツ紙にこう書いた。もし“野球の父”アレキサンダー・カートライトが生きていて、このシーンを目のあたりにしたら、ショックの面持ちで、きっとこう語ったに違いない、と――。「ベースボールは新しいルールを必要としている」
塁間の距離は90フィート(27.431メートル)。これを定めたのが“野球の父”カートライトである。
当時のニューヨークは火事が多く、マンハッタンに住んでいた彼は消防団員の健康のためにタウンボールを推奨する。しかし、この競技は子どもの遊びの領域を出るものではなく、よりゲームを面白いものとするために、彼はルールの整備に乗り出す。
そのひとつが、それまでひし形であった内野を正方形にし、塁間を90フィートに設定するというものであった。1846年のことである。
この絶妙の距離は、その後「神の決め事」と呼ばれるようになる。
猛烈な打球が内野手の間を襲う。あるいはボテボテのゴロになる。走者は全力で一塁に駆け込み、それを阻止せんと内野手は猛ダッシュやダイビングを試みる。そして、すぐさま体勢を立て直し、矢のような送球を一塁へ――。アウトかセーフか。プレーする側も見る側も最もスリルを覚える瞬間だが、あと50センチ長ければプレーは弛緩し、逆に50センチ短かった内野手はモチベーションを失っていただろう。
しかし、イチローの出現により「神の決め事」は万能ではなくなった。ルールは破壊され、内野手はなす術を失った。モダンベースボールはひとりの日本人によって窮地に立たされてしまったのである。これほど痛快な出来事が他にあるだろうか。
(後編につづく)
◎バックナンバーはこちらから