イチローの魅力はバッティングだけではない。守備でもセンセーションを巻き起こした。

 

<この原稿は『東海総研MANAGEMENT』(東海総研研究所)2002年1月号に掲載されたものです>

 

 メジャーリーグにおける「肩」にまつわる伝説といえば、次の2つが真っ先に頭に浮かぶ。まずひとつが79年のオールスターゲーム。8回2死一、二塁の場面でヤンキースのグレッグ・ネトルズがライト前にヒット。これを拾い上げたパイレーツのデーブ・パーカーが本塁に矢のような返球。ボールは猛禽となって走者のアル・ダウニングを襲い、間一髪で刺してみせたのである。パーカーは7回にも強肩を披露し“合わせ技一本”でMVPを獲得した。場所はシアトルのキングドームだった。

 

 次に浮かぶシーンは74年のリーグチャンピオンシリーズとワールドシリーズ。ドジャースの監督ウォルター・オルストンは強肩のジョー・ファーガソンを本職のキャッチャーではなくライトで起用し、ランナーを威嚇した。当時、ファーガソンの肩は全米No.1と呼ばれ、彼がライトからにらみをきかせているだけで、ランナーは委縮し、次の塁を奪う権利を放棄した。彼の肩はドジャースの文字どおりの秘密兵器だったのである。

 

 そしてもうひとりがイチローだ。昨年4月11日の対アスレティックス戦、8回裏1死一塁の場面。ラモン・ヘルナンデスのライト前ヒットで一塁のテレンス・ロングはサードへ。しかし、滑り込んだスパイクの先にはイチローからの返球が待っていた。驚愕の“レーザービーム返球”だ。

 

 おそらく肩の強さだけなら、イチローよりもレンジャーズのゲーブ・カプラーやブルージェイズのラウル・モンデシーの方が上だろう。しかし、返球の精度、すなわち制球力となるとこれはイチローに軍配が上がる。高校時代まで投手をやっていたせいだろうか。彼の返球は抑制がきいていて、しかも低い位置で引力に逆らうようにグンと伸びてくる。

 

 この“レーザービーム”以降、足に自信のあるランナーのほとんどがイチローの肩を恐れ、果敢に次の塁を奪うことをしなくなった。イチローはバットと足だけではなく肩でもチームに貢献したのである。

 

 唯一無二のスイッチウォッチャー

 

 イチローの素晴らしさを語り始めたら切りがないが、私は彼の「目」に注目している。

 

「他の選手が“速いな!”と驚いている時でも、僕の目には遅く見えることがある」

 

 以前、イチローはさらりとそう語ったことがある。

 

 オリックス時代、イチローはじめ全選手に対して行われた動体視力テスト。

 

 コンピューターの画面に8ケタの数字を0.1秒だけ表示する。文字のサイズは縦1.2センチ、横1センチ。正解数は平均4ケタのところ、イチローは6ケタから7ケタの数字を言い当てることに成功。データはミートポイントの精度の高さを裏付けていた。

 

 この「瞬間視能力」の検査で、さらに驚くべき事実が判明した。たとえば8ケタの数字が左から右へ40758023と表示される場合、私たちは例外なく左読みで数字の並びを把握しようとする。名刺に刷られている横書きの電話番号を右から読む者などいない。

 

 ところがイチローは右から左へ数字を追う。先に紹介した数字だと32085704と視認するのである。その結果報告を聞いた瞬間、大げさでなく、私の背中には電流が走った。

 

「そうだったのか!」とヒザを打った。イチローが左投手を苦にしない理由が解明できたからだ。右読みを左打席での習性に置き換えると内角から外角に向けてボールを追うことになる。ホームベースの右角から左隅の方向へと軌道を描く左投手のボールの情報を内側から読んでいくためミスショットが少ないのだ。

 

 ボールの情報の中には「縫い目」も含まれる。イチローは「縫い目」を確認することで変化球の種類をも言い当てることができた。さらに言えば彼は右投手なら左読み、左投手なら右読みと読み方をかえていた。スイッチヒッターならぬスイッチウォッチャー。唯一無二、世界中でイチローだけが持つ技術である。

 

 求道の過程までも楽しむ

 

 イチローのメジャーリーグでの成功は「オンリーワン」こそが「ナンバーワン」になるための近道だということを裏付けている。

 

「スイッチウォッチング」にしろ「振り子打法」にしろ、世界にたったひとつしかない技術である。金太郎アメのような選手なら取りかえも可能だが、すべてが「オンリーワン」であるイチローにとってかわることは誰もできない。

 

 もしかするとこれはビジネスの世界においてもいえることかもしれない。不況の風をものともせずに生き残っている企業は、技術にしろ販促のノウハウにしろ「オンリーワン」の何かを持っている。借り物の知識やシステムは、早晩、淘汰される運命にあるのである。

 

 イチローに話を戻せば、そのクールな面持ちに秘められた闘争心も成功の理由のひとつにあげたい。いつだったかジャイアンツの工藤公康にこんな話を聞いたことがある。

 

「アイツの塁に出よう、ヒットにしようという執念はすごいですよ。ファーストベースに飛び込む時“セーフ!”と大声を発するんですから。その声に驚いて、審判が両手を左右に開いたことが何度もありました」。メジャーリーグの内野手を切り切り舞いさせたインフィールドヒットは、実は闘争心のたまものであったのだ。

 

 再びMVP受賞の記者会見。

 

――これだけ目標が達成されると、もうやることがなくなったのではないか?

 という質問にイチローはかっと目を見開き、毅然たる口調で語った。

 

「目標に終わりはない。また次なる目標を見つけ、それに挑戦していくだけです」

 

 求道者の一面、その過程をも楽しんでいるイチローの姿は、21世紀に生きる我々に“自分らしく生き抜くこと”の大切さを教えてくれる。

 

(おわり)


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