二宮清純: 引き続きゲストはラグビー日本代表(ジャパン)の伊藤剛臣さんです。雲海酒造の『木挽BLUE』のロックを飲みながらのラグビー談議です。ラグビーを始める前は野球少年だったとか?

伊藤剛臣: 僕の父は柔道の道場を構えていて、小学生の時は柔道と少年野球をやっていました。中学は野球部も柔道部もなかったので、バスケットボール部です。高校は神奈川の法政大学第二高校で野球部に入りました。

 

 

 

 

二宮: 法政二高と言えば、日本人初のメジャーリーガー村上雅則さんなどを輩出した野球の強豪校ですね。1960年夏と61年春は、エース柴田勲さん(元巨人)を擁して甲子園夏春連覇を達成しました。

伊藤: 実は僕、村上さんの息子と同級生でした。彼は野球部ではなくアメリカンフットボール部でしたけどね。僕は運動神経に自信がありましたが、野球部はエリート揃いです。すぐに自信をなくし、1、2カ月で退部しました。落ち込んでいる時に担任の先生と父からラグビーを勧められたんです。

 

二宮: それまでのラグビーに対する印象は?

伊藤: ラグビーと言えば新日鐵釜石の7連覇ですよね。スポーツニュースで国立競技場に6万人が集まり、大漁旗がはためくところを観ていました。スタンドオフの松尾雄治さんに憧れていましたね。

 

二宮: では最初はスタンドオフを?

伊藤: いえ。僕は松尾さんしか知らなかったから、「スタンドオフがやりたい」と言ったのですが、叶いませんでした。当時、僕は身長180センチくらいありましたので、監督とコーチから「ロックをやれ」と。ルールもほとんど知らなかったので、「ロックとはどういうポジションですか?」と聞くと、「男の中の男がやるポジションだ」って。だったら“やってやろうやないか”と燃えましたね。

 

二宮: 男心をくすぐられたわけですね。

伊藤: はい。まんまと(笑)。正直、ルールもポジションもよく分かっていなかった。でも野球部から逃げている手前、もうあとには退けない。だから我慢してやっている部分もありましたよ。

 

二宮: ラグビーが楽しくなったきっかけは?

伊藤: ある試合でボールを持って走り、モールを組んで押し合い、協力してディフェンスをする。そんなラグビーの醍醐味に気付いたんです。それからはラグビーのプレーをすることが面白いと思うようになりました。1年時の12月に雪の早明戦を観に行きましたし、2年時の5月には宿澤ジャパンがスコットランドにテストマッチで勝ったんです。それもテレビで観ました。ラグビーの世界に夢とロマンをもらいましたね。

 

二宮: 気が付けば、ラグビーの虜になっていたわけですね。法政二高を卒業後、法政大学に進学し、3年時には全国大学選手権を制しました。早明慶といった伝統校を抑え、25年ぶりの学生日本一でした。

伊藤: 誰も優勝するなんて思っていませんでしたね。当時は練習で死ぬほど走らされましたよ。みんながタックルにいって、体を張った。気持ちで掴んだ優勝でした。

 

 東京から離れる決断

 

二宮: 伊藤さんと言えば、この頃からタックルのイメージがあります。やはり強いこだわりが?

伊藤: ラグビーはコンタクトスポーツですから、タックルできないとチームメイトから信頼されません。“オマエは男なのか?”と試されているわけですよ。いくら上手くても、強くても、速くても、タックルができなければ試合に出られない。出たとしてもチームを勝利には導けません。

 

二宮: 法政大学卒業後は神戸製鋼に入社しました。いくつものオファーがある中、神戸を選んだ理由は?

伊藤: 法政で優勝したこともあり、10社以上から声をかけていただきました。僕は東京の下町出身で、東京から出るつもりはなかったので、漠然と東京のチームへ行くものと考えていました。神戸からも誘いを受けていましたが、「僕は行かないです」と最初は断っていたんです。

 

二宮: それでも神戸は伊藤さんの獲得を諦めなかったんですね。

伊藤: ええ。法政の先輩からは「神戸に来てみないとわからないだろ」と言われ、神戸にも行きました。そこで平尾誠二さん、林敏之さん、大八木淳史さんをはじめ錚々たる方々に会いました。みなさんカッコ良いんですよ。当時日本選手権5連覇中ですから、他のチームと比べても、キラキラ輝いていました。目の前で有名な人に電話で話している方もいましたね(笑)。

 

二宮: アハハハ。スター軍団ですからね。中でも平尾さんの輝きは格別だったでしょう。

伊藤: そうですね。スーツを着て髭を生やしてダンディなんですよ。言葉も上手で魅力的でした。その平尾さんからは「なんで東京にこだわっているの? オレは神戸に入る前にイギリスへ留学した。1回、外の飯を食ってみたらどうだ」と言われました。

 

二宮: その口説き文句で落とされたわけですね。

伊藤: ええ(笑)。みなさんカッコ良いし、“オレもこうなりたい”と思って神戸に入りました。神戸では1年目から試合に出してもらって、日本一を経験し、7連覇のメンバーの一員にさせてもらいました。ところが、その2日後に、阪神大震災です。もう日本一の喜びなんか吹っ飛んじゃって、ラグビーどころじゃないという状況でした。

 

二宮: 震災の影響もあり、翌シーズンで連覇は途切れました。日本一を奪還するまでは5年かかりました。チームの苦難の時期を味わったわけですね。

伊藤: 先輩たちもいなくなって、「常勝軍団」と呼ばれていたチームが勝てなくなっていった。チームに残った僕らの手で“日本一を取り戻さないといけない”。そういうプレッシャーは確かにありましたね。

 

“原点回帰”の移籍

 

二宮: 神戸で18年プレーした後、新日鐵釜石をルーツに持つ釜石シーウェイブスに移籍します。このきっかけは?

伊藤: 神戸製鋼で40歳までプレーさせてもらって、総監督兼GMを務めていた平尾さんから「そろそろだな」と言われました。“とうとう俺のラグビー人生も終わりか。まぁ40歳までやらせてもらったからこれで十分だ”と、その時は引退を覚悟したんです。でも自分の両親や妻に報告したら、「まだプレーする姿が見たい」と言うんです。

 

二宮: それを受けて、辞めるわけにはいかない、と。

伊藤: ええ。その時にジャパンの後輩だった吉田尚史が声を掛けてくれたんです。彼は2011年の東日本大震災後、釜石に入団していたんです。吉田とはすごく仲良かった。2003年のワールドカップは同部屋でしたし、兄弟みたいなものです。その彼から「釜石で一緒にやりませんか?」と誘われたんです。「チームは“ラグビーでまちを盛り上げよう”“ラグビーで明るいニュースを届けるんだ”と頑張っています。今はトップリーグより下のカテゴリーのチームにいますけど、上に行こうと頑張っているんです」。その言葉が僕の胸に強く響きました。それに僕自身、ラグビーを初めて知ったのが新日鐵釜石の7連覇でしたからね。

 

二宮: ラグビーの原風景とも呼べる新日鐵釜石の7連覇。そこから伊藤さんご自身が釜石へ行くことになるとは……。何か運命的なものを感じますね。

伊藤: そうですね。神戸の1年目が終わろうとしていた時に阪神大震災があって、そこからチームが日本一を取り戻すのに5年もかかりました。でも、その間、本当に多くの人が応援、支援をしてくれました。それを思い返した時、“ここでオレは現役最後の炎を燃やそう”と決めたんです。

 

二宮: そのまますぐに移籍が決まったんですか?

伊藤: いえ、実は最初、断られたんです。チームスタッフだったジャパンの先輩・桜庭由彦さんに電話して、入団を頼んだら1週間後に「ダメだったわ」と連絡が入ったんです。僕も“やっぱりそうだよな。41歳になる選手だし”と諦めがつきました。だから声を掛けてくれた吉田に電話して「やっぱりダメだった。断られたよ」と言ったら、「電話で済む話じゃないですよ。現場に来て、自分の思いとかプレーを見てもらわなきゃダメですよ」と説得されました。

 

二宮: 熱い後輩ですね。

伊藤: ええ。僕も彼の言う通りだと思い、現地に行って、ちゃんと思いを伝えようと考えました。一度は断られましたが、桜庭さんに「トライアウト受けさせてもらえませんか?」とお願いしたんです。「自分の思いやプレーを見てほしいんです。筋力測定でも何でもしますから」と。それで、とりえあえずプレーを見ていただけることになりました。釜石に行ったのは2012年の4月です。

 

二宮: 震災から1年が過ぎたあたりですね。

伊藤: そうです。だから釜石に着いた時、グラウンドやクラブハウスより先に沿岸部を見に行きました。そこで津波の被害の大きさを実感しました。船もまだ陸に乗り上げたままでしたし、半壊の建物がいっぱいありました。全壊のところもあり、震災の傷跡が残っている。その時に近くでおばあさんが海をずっと眺めているんですよ。“この人は家族を亡くしたんだろうな”と……。それを見た時に“このまちで頑張りたい。いや頑張ろう”と思ったんですね。

 

 復興を証明する大会に

 

二宮: 伊藤さんは神戸でも震災を経験されているから、復興への思いが強かったんでしょうね。

伊藤: トライアウト受けさせてもらって、6月から正式入団することになりました。古巣の神戸製鋼も同じタイミングで釜石に来ていて、釜石の選手たちと一緒にガレキの撤去作業を行いました。その後、神戸と練習試合をしました。釜石での初めて練習、そして練習試合の相手が神戸製鋼でした。そこにも運命的なものを感じましたね。練習後にはサポーターのおじいさんが「伊藤さん」と僕を呼ぶわけですよ。「伊藤くん、よく釜石に来てくれた。これ食べて頑張ってくれ」と言って渡されたのが、ワカメ1袋でした。「三陸で獲れた日本で1番美味いワカメだから、これを食べて頑張って」と言われた時に釜石に来たことと、まちの人の温かさを実感しましたね。

 

二宮: 東北人の人情に触れたわけですね。

伊藤: もちろん、寡黙な方もいました。でも、みんなで酒を飲むとやっぱりラグビー部だし楽しいですよ。釜石だから移動距離が長いじゃないですか。東京へ行くにしても、5時間以上かかります。例えば、2部リーグの上位になってトップリーグ入れ替え戦に出れば、全国に行きます。大阪へ行くにしても、九州へ行くにしても、とにかく時間がかかる。だから何が楽しみかっていうと、遠征の帰りに酒を飲むのが一番。“これが釜石スタイルだ”って思っていました。

 

二宮: バスの中で宴会ですか?

伊藤: はい。試合から帰る時も数時間かかるわけです。みんなバスの後部座席で飲んでいる。そのうち一番後ろの右側の席が僕の指定席になりました。そこで毎回、宴会が始まるわけですよ。みんなで酒を飲んで帰る。それが“釜石スタイル”ですね。

 

二宮: アハハハ。今日も結構飲まれましたね。

伊藤: いやぁ、『木挽BLUE』はすごく飲みやすいです。今日はなんか二宮さんだから安心しちゃって飲み過ぎちゃったのもあるかな。宮崎は南国で海や水がきれいなまちです。そういうところで造られたお酒だから自然の恵みを強く感じますね。

 

二宮: 気に入っていただけましたか?

伊藤: もちろんです。宮崎はプロ野球やJリーグも多くのチームがキャンプを張っていますよね。ラグビー日本代表の合宿も行われています。そんな自然溢れるまちで、生まれ育ったお酒ですから、スーッと体に入っていくような感じがします。

 

二宮: 9月に始まるW杯。東北では釜石も唯一の試合会場です。

伊藤: 今の僕にできることは“ラグビーで街を盛り上げよう”“ラグビーで街を元気にするんだ”という思いを実現することです。最初は復興がままならない中で、実際釜石にW杯が来るなんて無理だろうと思っていました。それでもまちには招致を諦めない人がいた。その執念がW杯を呼んだんです。

 

二宮: 市民、県民の熱意が最後はモノを言ったわけですね。

伊藤: そう思います。だから釜石での試合開催が決まった時、僕はうれしくて日本酒を1升飲み干しましたよ(笑)。ワールドラグビーの人たちは、ラグビーの遺産がある釜石を選び、ラグビーで復興を目指しているまちを応援してくれたんだと。そう思うと、うれしくてねぇ……。

 

二宮: もう少し飲みましょうか。

伊藤: 二宮さん、今日は朝まで付き合ってください。ラグビーと釜石のためにあらためて乾杯!

 

(おわり)

 

伊藤剛臣(いとう・たけおみ)プロフィール>

1971年4月11日、東京都生まれ。高校1年にラグビーを始める。法政二高時代には高校日本代表に選ばれた。法政大学3年時には大学選手権で25年ぶりの優勝をチームにもたらした。法大卒業後は名門神戸製鋼に入社し、1994年度の全国社会人大会、日本選手権7連覇に貢献した。その後も2度の全国社会人大会、日本選手権優勝を経験。トップリーグ初代王者に輝いたチームの中心選手として貢献した。 2012年、神戸製鋼から釜石シーウェイブスに移籍。 日本代表ではW杯に2大会出場。代表キャップ62。2018年1月まで現役最年長記録選手として活躍していたが、惜しまれながらも現役を引退した。現在はラグビーW杯2019日本大会のアンバサダー、また釜石シーウェイブスのアンバサダーを兼任し、ラグビーW杯、ラグビーの魅力を伝えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回、伊藤さんと楽しんだお酒は芋焼酎「木挽BLUE(ブルー)」。宮崎の海 日向灘から採取した、雲海酒造独自の酵母【日向灘黒潮酵母】を使用し、宮崎・綾の日本有数の照葉樹林が生み出す清らかな水と南九州産の厳選された芋(黄金千貫)を原料に、綾蔵の熟練の蔵人達が丹精込めて造り上げました。芋焼酎なのにすっきりとしていて、ロックでも飲みやすい、爽やかな口当たりの本格芋焼酎です。

 

提供/雲海酒造株式会社

 


<対談協力>
美舟
東京都新宿区荒木町9 丸美ビル1F

TEL:03-3357-8177

営業時間:17:30~23:00

定休日:日・祝

 

☆プレゼント☆

 伊藤さんの直筆サイン色紙を芋焼酎「木挽BLUE」(900ml、アルコール度数25度)とともに3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらのメールフォームより、件名と本文の最初に「伊藤剛臣さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)を明記し、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストをお書き添えの上、お送りください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は19年4月11日(木)。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、伊藤剛臣さんと楽しんだお酒の名前は?

 

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

 

(構成・写真/杉浦泰介)


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