この3月末をもって小出義雄がマラソンの指導者を引退した。小出と言えば1992年バルセロナ五輪で銀、96年アトランタ五輪で銅メダルを獲得した有森裕子や00年シドニー五輪で金メダルに輝いた高橋尚子を育てた名伯楽だ。“褒めて伸ばす”指導法でメダリストを輩出したのだ。高橋とは10年もの間、二人三脚で結果を出した。師弟愛の詰まった08年の原稿で、小出の“Qちゃん愛”を振り返ろう。

 

<この原稿は『月刊現代』(講談社)2008年5月号に掲載されたものです>

 

 レース後、報道陣の前に姿を現した高橋尚子は、惨敗にもかかわらず、こちらが拍子抜けするほどサバサバとしていた。

 

「はい、やっちゃいました」

 それが第一声だった。

 

「夏からやってきた今の実力がこれです。ここをこうしておけば、あの時こうしておけばということが今は見当たらない」

 

 そして続けた。

 

「まさか、ここまで走れないとは自分でも思っていなかった。スタートに立つ前は優勝を頭の中に入れていたのですが、自分でも不思議なほど体が動かなかった。夢かなぁ……と思うような状態でした。長い42.195キロになりそうな予感がありました」

 

 北京五輪代表の事実上最後の切符を賭けた、3月9日の名古屋国際女子マラソン。満を持してこの大会に臨んだシドニー五輪金メダリストの高橋尚子は9キロ付近で早くも失速し、27位に沈んだ。タイムは自己ワーストの2時間44分18秒。ゴールでは市民ランナーにさえ先着を許した。

 

 8年前、高橋はこのコースを大会新記録で駆け抜け、代表権を獲得。その余勢を駆ってシドニー五輪で優勝を果たしている。

 

 験のいいコースであることに加え、岐阜出身の高橋にとって名古屋はいわば地元も同然。沿道の声援が彼女の背中を押すものと思われた。しかも名古屋は2戦2勝。1年4カ月ぶりのコースとはいえ、彼女を優勝候補の本命に推す者も少なくなかった。

 

 しかし、8年前の高橋の姿はどこにもなかった。言葉は悪いが、先頭集団から脱落して以降の姿は、まるで昼休みに皇居の周りを走っている市民ランナーのようだった。

 

 記者会見の途中で高橋は衝撃的な事実を自ら明かした。

 

 実は昨年8月に合宿先の米国ボルダーで右ひざ半月板の手術を受け、半分を切除したというのである。この事実を知っていたのは彼女が実質的なプレーイングマネジャーを務める「チームQ」のメンバーのみ。岐阜に住む両親にも知らせていなかった。

 

「名古屋まで7カ月。この時期に(右ひざに)メスを入れることには躊躇がありました。正直言って、もう(五輪は)無理かなァと……。しかし手術を受けなければ(痛くて)練習ができなかった。あくまでもこの大会に挑戦するための手術だった。(手術後は)ベッドから松葉杖になり、歩くことからスタートした。今年になってやっと1日70キロの練習ができるようになったが、スピード練習はできなかった。(この惨敗は)練習不足がたたったのかもしれません」

 

 手術は成功した。しかし35歳という年齢を考えれば、回復には時間がかかる。本人も口にしたように1日70キロを走るなど距離はそれなりに踏むことができたが、スピード練習は400メートルと1000メートルを、それぞれ1回ずつこなしたのみ。そのせいなのか、スタートラインについた時から、筋肉に張りがないように感じられた。要するに彼女の脚は、マラソンを走る脚ではなかったということだ。

 

 調整の失敗

 

「5キロで紙コップを取ったでしょう。これは帰ってこねぇぞお、と思ったね。Qちゃんが一般ランナー用の紙コップに手を伸ばすなんて考えられないよ。しかもググッと飲んだだろう。余程、具合が悪かったんだろうな」

 

 そう前置きして、高橋の元師匠である小出義雄(佐倉アスリート倶楽部代表)は話し始めた。

 

 小出と高橋の師弟関係はコンビを解消する05年5月まで、丸10年に渡って続いていた。高橋がシドニー五輪で金メダルを獲得した時には「理想の師弟関係」といわれた。

 

 その小出の目に、この日の高橋の姿はどう映ったのか。そして失速の原因はなんだったのか。

 

「僕が見た限りでは、やる前から脱水状態に陥っていたんじゃないかな。Qちゃんは気付いていなかったかもしれないが、あれはナトリウム不足でしょう。ナトリウムが不足すると筋肉が速く動かないんだよ。あれだけ汗をかくんだから、必要な塩分はとっておかなくちゃ」

 

 小出は名古屋国際の12日前、高橋の走りを中国の昆明で目の当たりにしていた。彼が代表を務める佐倉アスリート倶楽部も昆明で合宿を行っていたからだ。

 

「あの時のQちゃんは良かったよ。弘山晴美と名古屋で2位に入った尾崎好美もいたかな。後ろからグングン差を詰めていって、サーッと抜き去ってしまった。そのくらい良かったんだ。その時には名古屋で勝てると思ったよ。

 

 だけど、それから何かがあって、調整に失敗したんだろうね。下痢でもしたのかな。Qちゃん、最初に昆明に行った時も下痢して38度の熱を出して、2日間寝込んだことがあったって。免疫力のない日本人には、あそこ(昆明)は環境が厳しいのさ。

 

 例えば、一番いいホテルに泊まっても水には注意しなくちゃいけない。野菜だって水洗いすれば、中国人には問題なくても日本人は敏感だからすぐお腹を壊しちゃう。

 

 以前から何度も合宿しているチームはその環境に慣れているから、肉も沸騰したお湯で茹でてから食べている。下痢をしないように工夫しているんだ。

 

 それに空気も汚れているね。Qちゃんは車で1時間かけて遠くに行き、そこで練習していたこともあったようだけど、車で往復2時間もかけていたら練習にならないよ。70キロ走ったといっても平坦なコースでしょ。もっとアップダウンの激しいところでガンガンやらなくちゃって僕は思ったけどな」

 

(中編につづく)


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