3月に行われたコロンビア代表戦とボリビア代表戦の2試合。テーマの1つは“人材探し”でした。歴代の代表監督はメンバーをほぼ固定して戦ってきましが、世代交代が使命の森保一監督は状況に合わせて様々なメンバーを招集しています。今回のボリビア戦では先に行われたコロンビア戦から思い切ってスタメン11人を総入れ替えしました。この2戦を振り返ってみましょう。

 

 昌子が頼もしく見えたコロンビア戦

 

 22日に日産スタジアムで行われたコロンビア戦の結果は0対1の敗戦。DF冨安健洋(シントトロイデン)がペナルティーエリア内でシュートブロックに入った際にハンドを取られてしまい、そのPKからの失点でした。このハンドに関しては仕方ないでしょう。ブロックに入って取られたものですから、運がなかったと思います。

 

 むしろ守備陣には良い印象があります。DFリーダー・吉田麻也(サウサンプトン)がいない中、DF昌子源(トゥールーズ)がリーダー役を担い、ラインを統率していました。冬に鹿島アントラーズからフランス1部リーグに移籍し、早くも一回り頼もしくなった気がします。初めて冨安とコンビを組み、良かったように映りましたよ。バランスの取れた動きで互いをカバーしつつ、全体をコンパクトに保てていたと思います。

 

 この試合ではワントップの位置にFW鈴木武蔵(北海道コンサドーレ札幌)が入りました。得点こそ奪えませんでしたが攻守に渡って良い動きをしていました。MF中島翔哉(アル・ドゥハイル)がボールを持つと相手DFの死角に入り、パスを引き出す動きも見られました。185センチの身長と持ち前のバネを生かしたヘディングもありましたね。守備でも相手のパスコースを限定するなどファーストDFとして機能していました。細かいところですが、評価して良いと思います。

 

 潰し役を大切にする森保監督らしさ

 

 コロンビア戦からスタメン総入れ替えで臨んだのが26日、ノエビアスタジアムで行われたボリビア戦でした。DF畠中槙之輔(横浜F・マリノス)とMF橋本拳人(FC東京)の2人はA代表デビューを初スタメンで飾りました。畠中はインターセプトを狙う際に思い切りよく出て行っていいのか、行かない方がいいのか少し迷いがありましたが、対人守備で粘りを見せました。橋本はボランチでの守備が効いていましたね。彼のところでボリビアのカウンターを未然に防いでいました。派手さはないですがボランチの位置で守備に重きを置く選手起用をするあたりが、森保監督らしいですね。

 

 ロシアW杯でレギュラーだったMF乾貴士(アラベス)とMF香川真司(ベシクタシュ)もスタメンでプレーしました。乾は左サイドから得意のカットインを披露するなど持ち味を発揮しましたが、香川は動きがまだ重そうですね。1月末にトルコへのレンタル移籍が決まり、長時間、出場できたのはわずかに2試合のみです。やりたいことのイメージは描けているのでしょうが、まだ体がついていっていない様子でした。

 

 この試合ではワントップにFW鎌田大地(シントトロイデン)が起用されました。率直に言って物足りない印象です。本人も不本意だったのではないでしょうか。連係面で四苦八苦しているように映りました。さて、6月は国内で2つの親善試合(対戦相手未定)を行い、招待国としてブラジルで開催されるコパ・アメリカに参戦します。相手も本気モードです。一部の報道では大迫の所属するブレーメンは選手派遣に難色を示しているようです。大迫の上を行く選手を発掘しつつ、いい経験を積む機会なのではないかと思います。

 

 ヤナギは“線”、伊藤は“点”

 

 今季、横浜F・マリノスから鹿島に移籍してきたFW伊藤翔が公式戦6試合で7ゴールの大活躍を見せています。まるで水を得た魚のようです。伊藤はボールの引き出し方・呼び込み方が非常にうまい。走る軌道は違いますが、受け方がうまいという意味では柳沢敦(現・鹿島ユースコーチ)に似ています。

 

 大枠で言えば似たタイプのこの2人。細かくどう違うのか。柳沢は線でボールを受けるタイプ、伊藤は点でボールを受けるタイプですね。柳沢は膨らむように動き懐を深くします。

 

 一方、伊藤の方が直線的に動いてボールをもらいます。パサーには“ここで欲しい”とピンポイントで要求している感じです。出し手には伊藤が欲しがる場所に蹴れる技術が求められます。鹿島には良いパスを出せる選手がたくさんいますから彼はプレーしやすそうですね。伊藤が4月、5月とこの調子で得点を重ねれば、6月の代表招集はあり得るかもしれません。今後も彼のオフ・ザ・ボールの動きや相手DFとの駆け引きに注目です。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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