今年のゴールデンウィークは10連休。この期間、毎年Jリーグは一層白熱しますが、今年は大型連休に入る前にヴィッセル神戸に動きがありました。今月17日にフアン・マヌエル・リージョ氏がクラブとの契約解除を申し出て、吉田孝行監督に代わりました。神戸は第二次吉田体制で再スタートです。
16年で延べ16人の監督……
神戸は三木谷浩史会長になってから16年で延べ16人も監督が代わっています(第1次吉田体制含む)。フロントとしては優勝を目指しているんでしょう。だから結果が伴わないと即監督を交代する。フロント、監督、選手が互いに尊重し合う雰囲気がないと優勝はできません。
それに必ずしも監督交代が良い方向に転がるわけではありません。監督交代は戦術変更を同時に意味します。選手としては「オレたちはこういうこともやってみよう、もっとこうしよう」と試行錯誤しているはずなのに、全部打ち消される。言葉が悪いかもしれませんが、サッカーを理解していないのでしょうかねぇ……。これだけコロコロ代わると所属選手が困惑するのも無理はありません。
資金力があり大物は呼べる。でも勝てない。じゃあ、監督を代える。この悪循環でさらに結果が出なくなり、気がついたらJ2へ降格。さらに最悪のケースはオーナーがクラブを手放すことです。経営者として行動力がある方です。ズバッと決断することはあり得てしまいそう。神戸サポーターのためにもそうならないことを願うばかりです。
今後の神戸はどうすべきか。「バルセロナ化」という軸は変えず外国人選手を中心に、そして彼らをどうサポートして勝利を目指すか、だと思います。例えば、イニエスタを据えて彼をサポートする選手、攻守において汗をかける選手を配置する。“オレがこの位置でボールを持ったら、ここにサポートに入って欲しい”“この時はもっとサイドバックは前がかりに”“逆サイドの選手は相手のカウンターに備えてもう少し絞る”など、簡潔かつ具体的なサポートの仕方をすり合わせが必要だと思います。
それともうひとつ。「バルセロナ化」を進める中でもボールをしっかりつなぐ場面、縦に速く攻める場面の使い分けをするだけでも攻撃面は変わってくると思います。
今の大分とJ開幕時の鹿島が重なる
ゴールデンウィーク前。第8節終了時点で昇格組の大分トリニータが5勝1分け2敗の4位、松本山雅FCが3勝2分け3敗の10位と健闘しています。大分は突出した能力のある選手ひとりに依存するわけではなく、チームコンセプトがはっきりしていて、全体でカバーしています。それでこの順位はお見事です。
1試合におけるチーム平均の走行距離はJ1で2位の約118キロ。J1の平均よりおよそ4キロ多い数値です。かつワンタッチでうまくつなぎボールを動かしています。攻撃パターンがはっきりしているのが奏功していますね。ペナルティーエリアの外からフワリとファーサイドに上げる。これをそのままシュートできないと見るや、折り返す。その先にはFW藤本憲明や他の選手がきっちりポジションを取っています。
また、サイドから内に切れ込んでシュートを放つ。このこぼれ球には藤本が高確率で反応しています。あとは相手DFがラインを高く設定した場合、藤本のスピードが生きてきます。シンプルなスルーパスを通し、チャンスをつくっていますね。
徐々に他クラブは大分の研究を進めているでしょう。これから夏場にかけて、策を講じられても大分はそれを掻い潜れるか。2の手、3の手があればこの強さは本物です。
24日現在、6得点と得点ランク1位タイの藤本はあまりサイドに開かず、うまくボールをはたいてゴール前に詰めています。彼の嗅覚は素晴らしい。僕の現役時代だと武田修宏にスタイルが似ていますね。ゴール前では必ず武田は顔を出してきました。“誰がどこでシュートを打つ、そうすればここにこぼれる”“ここにクロスが上がるはず”など得点に対する嗅覚は天下一品でした。だから藤本と武田は僕の中で重なるんですよね。テクニックやスピードは藤本が一枚上手ですが(笑)。両者ともDFからしたら厄介な存在であることに変わりはありません。
大分の躍進を見ていると、93年Jリーグ開幕時の鹿島アントラーズを思い出します。当時、誰も鹿島の快進撃は予想していなかったはず。その中で開幕戦の名古屋グランパスを相手に5点を決めて、勢いに乗りファーストステージを制しました。「オレたちのやってきたことは間違っていなかったんだ」とあの時は“田舎者魂”に火がついた感じでしたよ。今年の大分の開幕戦、鹿島は藤本の2ゴールで敗れました。あれで彼と大分を勢いに乗せてしまったかなぁ(苦笑)。いずれにしても、今後の大分の戦いぶりから目が離せません。
●大野俊三(おおの・しゅんぞう)
<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。
*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。
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