ドイツ優勝の最大の立役者はGKのマヌエル・ノイアーだろう。彼の守備範囲の広さは驚異的だった。しかもフィードが正確で、そこには野心的な狙いも込められていた。

 数々のファインセーブの中で、最も印象に残っているシーンはフランスのFWカリム・ベンゼマの至近距離からのシュートを右手ではたき落としたもの。

 これはドラマの中での話だが、川中島の合戦で刀を振りかざして突進する上杉謙信を握った軍配で武田信玄が応戦するシーン。あれを連想させた。

 ドイツの勝因はリーグ全体で取り組んだ若手育成策にあると見る。メスト・エジル25歳、マッツ・フンメルス25歳、トニ・クロース24歳、トーマス・ミュラー24歳、マリオ・ゲッツェ22歳と、4年後のロシア大会でも主力に名を連ねそうな面々がズラリ。エジルやジェローム・ボアテングら移民の子孫たちが屈強なドイツのイメージにエスニックな色を添えていた。

 また攻撃の中心はバスティアン・シュバインシュタイガー、ミュラー、クロースらバイエルン・ミュンヘン勢が荷った。スピーディーで流れるような攻撃は、ブンデスリーガで培ったものだった。

 余談だが、ザックジャパンも本番直前でFW大久保嘉人を代表入りさせるなら、去年からコンビを組むMFの中村憲剛もセットで呼ぶべきだっただろう。多くの識者が指摘したとおりだった。

 最大の衝撃は自国開催での優勝を狙ったブラジルの準決勝での惨敗だ。ドイツ相手にまさかの1対7。「ミネイロンの惨劇」である。
 FWのネイマール、キャプテンで最終ラインをまとめていたチアゴ・シウバを欠いていたとはいえ、ここまでの惨敗を誰が予想し得ただろう。序盤から攻めに攻めたのは、自信の無さの表れだったのかもしれない。

 これまでのブラジルは、戴冠を果たせずとも「敗れてなお強し」のイメージが残った。ジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ファルカンらを擁して準優勝した82年のスペイン大会が、その典型だ。

 その一方で、頂点に立っても勝ちに徹したサッカーは「セレソンらしくない」とソッポを向かれた。94年、米国大会での優勝は24年ぶりながら、監督のカルロス・アルベルト・パレイラの評価は低かった。
 考えてみれば、あの大会、セレソンは司令塔のライーが全く機能しなかったのだ。「10番」抜きでの戴冠なんて、ブラジル以外ではありえない。それだけの底力があったということだ。

 しかし、今回、祖国でさらした醜態には、言い訳が見つからない。セレソンの威信は地に墜ちた。もはや、カナリアのユニホームも、相手にはただの黄色にしか見えないのではないか。

 ゾーンプレスの必要性を説いた元日本代表監督の加茂周の口グセのように「これがかからないのはブラジルだけ」と語っていた。「ブラジルだけは別格だから」。諦めたような口調で続けたものだった。
 どんなモダンな戦術をもってしても、それをあざ笑いながら無力化するだけの技芸と奥深さがブラジルにはあった。それが木端微塵に粉砕された今、国民の喪失感たるや、いかばかりか。心の中の“コルコバードのキリスト像”が崩れ落ちたのではないか。7月8日は国難の日として、銘記されよう。