昭和の時代は想像すらしなかったし、それは平成に入っても大して変わらなかった。日本のサッカーが娯楽の対象としてファンの欲求を満たしてくれる時代が来るなんて。

 

 Jリーグが発足したころ、よく聞かれたのは「どうしたらサッカー観戦を楽しめますか」という質問だった。大前提としてあったのは「サッカー観戦はつまらないもの」という先入観。なにしろ、「農耕民族たる日本人に狩猟民族が生んだサッカーは合わない」なる暴論を垂れ流すコメンテーターがいた時代である。

 

 わたしも若かった。暴論には「じゃ、野球を生んだアメリカも農耕民族なんですね」とやり返し、質問には「好きなチームをつくることです。そうすればサッカーは100倍面白くなります!」と熱っぽく訴えた。いまから思えば、どちらもいささか乱暴な見方だったが、当時は本気でそう信じ込んでいた。

 

 だが、思えばわたし自身も毒されていた。令和の時代を迎えようとしているいま、同じ質問をされた記者がいたら、と想像してみて初めてそのことに思い当たった。

 

 きっと、彼なら、彼女なら、困惑するはずなのだ。こんなにも面白いスポーツを、面白くないという前提で語る人が存在するということに。聞かれても困惑しなかったわたしも、実は日本のサッカーはつまらないという前提に立っていた。好きなチームをつくらなければ、日本のサッカーは退屈であるという前提に。

 

 そうだった。純粋にサッカーのリーグ戦で興奮体験を味わいたいのであれば海外へ行くしかない。当時のわたしはそう思い込んでいた。だから休みのたびに強行日程で海外に出かけていた。

 

 日本にいては超一流は見られない。超弩級の興奮も味わえない。メジャーリーグを生で観戦したい、とはてんで思わない阪神ファンのくせに、CLの決勝が近づいてくるとソワソワしてしまうのが数年前までのわたしだった。

 

 なぜメジャーリーグはたまにテレビで見るだけで十分なのに、サッカーは定期的に海外へ行きたいという衝動を抑えきれなかったのか。応援するチームを待たずに見るJリーグが退屈だったから、だった。

 

 だが、ドイツのファンは、スペインの、イタリアの、イングランドのファンは、まず自分の好きなチームの試合を楽しみ、ごく気が向いた時だけ、他のチーム、あるいは他の国のリーグの試合にチャンネルを合わせる。間違っても、好きでもないチームを見るために会場に足を運んだりはしない。

 

 昭和の時代には想像すらしなかったことだが、ひょっとすると令和の時代、魅力ある専用スタジアムが増えてくれば、Jリーグは世界中から観光客を集める有力なコンテンツになるかもしれない。いまのマンチェスターやバルセロナのように、世界中のファンが集うようになるかもしれない――。

 

 不運はあったにせよ、見たこともないぐらい取り乱し、激昂するイニエスタの姿を見ながらそんなことを思った、先週末、松本の夜だった。グラッドバッハの試合を見る気力が根絶やしにされたほどの、最上級の激闘だった。

 

<この原稿は19年4月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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