一昔前までの常識が、いつのまにか非常識になっていることがあるのは、日本のサッカーも例外ではない。

 

 Jリーグが発足した当時、選手たちに与えられたチケットは“下り限定”の片道切符だった。ひとたび、Jの舞台から転落してしまえば、檜舞台に返り咲く道はまずない。どれほどJ2やJFLで結果を出したとしても、J1から声がかかることもない。そのせいか、下部リーグの現場では、獲得を狙った選手に入団を拒否されることがあるとも聞いた。

 

 確かに、選手やその家族からすれば、“上り”のない、しかも決してギャラが高いとは言えない環境に身を投じるのは、いささか無謀にすぎるやもしれぬ。プロではなく、雇用を保証されたアマチュア。うん、理解はできる。

 

 だが、上から下へ落ちていく選手がいる一方で、下から上へのし上がっていく選手もいるというのが、成熟したリーグの特徴でもある。数年前、イングランドの6部リーグにあたるカンファレンス・ノースから、代表にまで駆け上がったレスターのバーディーの経歴が話題になったが、日本のサッカー界ではまず起こり得ないシンデレラ・ストーリーだった。

 

 以前、J3から三段跳びでJ1にまでたどりついた小池龍太(柏)という選手を紹介したことがあったが、それはつまり、そうしたケースが非常に珍しかったからでもある。欧州のサッカーで起こることが日本で起こらない。日本のプロ野球では時折話題になる育成選手からの下克上が、日本のサッカー界ではなかなか起こらない。そこが日本サッカーの未熟さを物語るようで個人的には大いに不満だったのだが、状況は確実に変わってきた。

 

 たとえば大分のストライカー藤本。2・3月のリーグ月間MVPを受賞した彼は、4年前、JFLの選手だった。

 

 横浜のGK朴一圭の上昇曲線はもっと凄い。6年前の彼がプレーしていたのは、JFLのさらに下、関東リーグ1部のFCコリアだった。キャリアのほとんどを100人単位の観客しかいないピッチでプレーしてきた男が、名門チームの守護神を任されているのである。

 

 ちなにに、わたしにとってもっとも印象に残る“成り上がり”をやってのけたのは、イスマイル・ウルサイスという選手である。

 

 24歳で2部のサラマンカから1部のエスパニョールにやってきた彼を初めて見たとき、わたしは正直、愕然とした。およそ器用な選手とは言い難かった高木琢也さんがテクニシャンに思えるほど、ウルサイスの足元はおぼつかなかったからである。サラマンカで3点しかあげられなかったのも無理はない。そう思った。

 

 ところが、新天地で大ブレークを果たした巨漢ストライカーは、1年後、故郷の名門ビルバオへと移籍し、その後、スペイン代表の一員にまでなった。

 

 同じような成り上がりを、早く日本でも見たい。3部から日の丸をつける選手を、早くみたい。

 

 ちなみに、ウルサイスが所属していたサラマンカの監督だったのが、29歳だったファンマヌエル・リージョ。つくづく、サッカーは、何が起こるかわからない。

 

<この原稿は19年4月18日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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