ジーコが日本にやってきた! いてもたってもいられず、普段は滅多に足を運ぶことのないJSL2部の試合に出かけたのは、いまから28年前のことである。

 

 茶色く剥げた芝。閑古鳥の鳴くスタンド。それでも、うっとりするほど滑らかなジーコのプレーを目の当たりにできた興奮は、いまでも鮮明に覚えている。眼福、とでもいうのだろうか。おそらく、それは観客や記者だけでなく、対戦相手の選手も感じていたように思う。

 

「うわ、すげえトラップ!」「え、そこにパス出すの?」そんな声なき声が、ピッチのそこかしこから聞こえてくる気もした。少なくとも、ジーコを単なる敵と見なし、ハードなタックルをお見舞いした選手は皆無だった。

 

 それぐらい、あのころの日本人にとってジーコは特別で、世界の一流は遠い存在だった。ジーコを前にしたほとんどの日本人選手がかきたてられたのは、闘志ではなく畏怖の感情だった。

 

 いま、多くのJリーガーにとって、イニエスタはかつてのジーコに等しい存在ではないか。バルサの象徴。ポゼッション・フットボールの申し子――。

 

 だが、先週末に神戸と戦ったG大阪の中に、脅えたり畏まったりした選手はいなかった。彼らは純粋に闘志をかきたて、単なる敵、獲物と見なして襲いかかっていった。驚くべきは、“イニエスタ狙い”ともいうべき攻撃的な守備が、明らかにチームの意志として遂行されていたことだった。

 

 長くスペインリーグの中継やバルサTVといった仕事に携わらせてもらったこともあり、イニエスタのほとんどを見てきたつもりのわたしだが、かくなるスタイルでバルサに挑んだチームを見た記憶はない。イニエスタにボールが入った時点で、ほとんどの相手は奪うという選択肢を捨てる。いかに傷を浅くするか。つまり急所をつかれないようにするか。まずそのことを考える。

 

 ところが、G大阪の若き指揮官は、イニエスタをまったく特別視しなかった。それどころか、イニエスタからボールを奪うことが、最良の攻撃手段であるとさえ考えたようだった。選手たちはその指示を着実に実行し、90分の中で2回、鮮やかな“イニエスタ狩り”に成功した。1回は決定機に、そしてもう1回は見事得点につながった。

 

 観客や視聴者も驚いただろうが、何より驚いたのは狩られたイニエスタ本人ではなかったか。二度の屈辱的なボールロスト以降、常に淡々とプレーするタイプの彼が、心なしかムキになったようにも見えた。決定的なシュートを力んで外し、勝利の瞬間にはいつになく喜びを爆発させた。

 

 こういうイニエスタ、こういう対戦相手が日本で見られる時代になったのだ。

 

 もちろん、依然としてイニエスタが別格であることは、戦ったG大阪の選手たちも痛感したことだろう。ポドルスキの決定力、破壊力、展開力も凄まじいものがあった。それでも、土壇場まで相手を苦しめた。これほど胸を熱くさせられた関西ダービーも、ちょっと記憶にない。

 

<この原稿は19年4月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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