「褒める時は無責任でいい。ただ叱る時には責任がいるぞ」。在りし日の小出義雄の言葉をかみしめながら、この追悼文をつづっている。

 

 名伯楽とはこの人のためにあるような言葉だった。スパルタ指導が当たり前の時代、選手の個性や長所を正確に見抜き、文字通り手塩にかけて育て上げた。「長所が伸びれば短所は消えるんだよ」。それが口ぐせだった。

 

 なぜ、この人の下からは、世界的なランナーが次々に育つのか。しかも、どの選手も個性豊かで魅力的である。それを探ろうと長年に渡って取材を続けた。氏の本も2冊ほどプロデュースした。

 

 とりわけ印象に残っている出来事がある。アトランタ五輪代表選考を兼ねた95年の東京国際女子マラソン。38キロ手前でもつれるように3人のランナーが転倒した。その中には吉田直美という秘蔵っ子が含まれていた。吉田にすれば“もらい事故”のようなものだった。

 

 吉田が不運だったのは転倒により脱げたシューズを履き直すのに時間がかかったことである。そんなハンデもものかは、4位に入る健闘を見せた。

 

 誰よりも、このアクシデントを悔いたのが小出だった。実は前日の練習で小出は転倒地点のアスファルトの不整備が気になっていた。もちろん、事前にそのことは本人にも伝えていた。「お前が転ばなくても、誰かが転ぶかもしれないぞ。気をつけろよ」

 

 残念ながら小出の悪い予感は的中してしまった。後日、会った際、自分を責める小出に私は言った。「監督、これは運ですよ。監督はきちんと注意事項を伝えていた。責任は果たしていると思いますよ」

 

 向き直った小出が発した一言が私には忘れられない。「二宮さんねぇ、“伝えた”と“伝わった”は違うんだよ。僕はただ“伝えた”だけで“伝わった”ことまでは確認していなかった。彼女は初めてのレースだよ。重圧も緊張もあったに違いない。にもかかわらず彼女を守ってあげられなかった。失敗は全て指導者が引き受けるしかないんだよ」

 

 勝てば手柄は監督、負ければ責任は選手。そういう指導者を過去に何人も見てきた私にとって、この一言は新鮮であると同時に驚きでもあった。アスリート・ファースト。今では当たり前のフレーズを最も早く実行した指導者、それが小出義雄ではなかったか。「平成とともに去りぬだよ」。今月初旬の電話での会話が最後になった。合掌。

 

<この原稿は18年4月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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