私が知る限りにおいて、プロ野球で最も女性にモテた男である。甘いマスクのシティーボーイ。愛車は真っ赤なポルシェ。ユニホームに着替えると、持ち前の俊足で颯爽とダイヤモンドを駆け巡る。そこで付いたニックネームが「夜の盗塁王」。広島などで活躍した高橋慶彦のことだ。

 

 いったい、どれほどモテたのか。本人に直接、質したことがある。

「ファンレターは毎日200通。バレンタインデーのチョコレートは400~500個。1人じゃ食べられないので全部、施設に贈りました。

 ビジターの試合では、ホテルに数百人の女性ファンが駆けつけました。フロントの前を通ると見つかるので、僕だけ裏の出入り口を使っていました。困ったのは千羽鶴のプレゼント。あれはファンの心がこもっているから、人にあげるわけにいかない。だから三篠寮の廊下に飾っていました」

 

 多くの有名女優やアイドルとも浮き名を流した。高橋はレギュラーに定着してからも、しばらく寮で生活していた。もちろんケイタイ電話などない時代である。連絡をとるには固定電話を使うしかない。入団間もない若い選手が、交代で電話番を務めていた。

 

「ヨシヒコさんいる?」

「はい、お名前は?」

「××××よ」

 

 若い電話番は、受話器を握り締めたまま、その場で固まってしまった。自らの部屋のピンナップポスターにおさまっていた人気アイドルだったからだ。

 

 高橋には「夜の盗塁王」とは別の顔もあった。「練習のムシ」。プロに入ってスイッチヒッターに転向した高橋は慣れない左打ちの技術を身につけるため、寝る間も惜しんでバットを振り続けたのだ。

 

「スイッチに転向するにあたり、まず僕が考えたのはバットを振って振って振りまくるということ。仮に小学3年生で野球を始めたときに僕が左バッターだったら、20歳までに、どれだけバットを振ってきたか。そのぶんを1年で取り返そうと考えたんです。

 マメができて手はボロボロになっているから、バットから離したくないんです。だから眠るときもバットを握ったままでした。朝起きると手がジャンケンのグーのような状態になっている。そのまま固まってしまって、開こうにも手が開けなかった。

 間違って女のコのストッキングに触ったら、バリバリと破れてしまいました。それくらいマメがひどかったんです。それでも、一度も練習が嫌いになったことはなかった。バットを振れば振っただけカネになりますからね。簡単な理由ですよ。

自分で言うのもなんですが、僕は天才なんです。“飽きない天才”(笑)。1日中、バットを振っていても飽きない。これだけは、誰にも負けなかったですね」

 

 こうした努力の甲斐あって、高橋は強かりし頃の赤ヘルの押しも押されぬリードオフマンとなり、レギュラーとして4度のリーグ優勝と3度の日本一に貢献した。その間3度の盗塁王と5度のベストナインにも輝いている。1979年に達成した33試合連続安打は、今もNPB(日本野球機構)記録である。

 

 62歳になった今も高橋はダンディだ。指先で電子タバコを口元に導く姿がサマになる。「これは匂いがないからね」。ほんの少し、ヤンチャな面影を残しながら……。


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