自らの背丈にも満たない打率をスコアボードで目にするのは気持ちのいいものではないだろう。1割6分9厘(5月13日現在)。広島・田中広輔の打率である。

 

 リーグ2連覇を達成した2017年には2割9分をマークした好打者である。ボテボテのゴロでも、送球より一足はやく一塁に駆け込むことのできる走力もある。また左打ちながらサウスポーにも強いというセールスポイントもある。比較的、スランプには陥りにくいタイプの選手だと思っていたが、ここまで不振にあえぐとは……。

 

 昨年4月に亡くなった衣笠祥雄が極度のスランプに見舞われたのは1979年の春のことである。三宅秀史(元阪神)の持つ連続フルイニング出場記録(当時)に挑んでいた。

 

 ついに打率は2割を切り、打順は7番に定着した。山本浩二と並ぶスラッガーが7番である。これが本人にはショックだったようだ。生前、こう語っていた。「シートノックを受けていて、“あれっスコアボードに名前がないぞ”と。休みだとは聞いていない。それでもう1回見直すと7番目に名前があった。78年は3番を打っていた僕がなんで7番を打たないかんのかって(※記録上は7番もあり)。これがいちばんショックやったね」

 

 そこから先は自らのプライドとの戦いだった。指揮官への怒りと自らに対する不甲斐なさ。それを鎮めようと、早めに床につく。「野球のことは忘れろ」。そんなアドバイスも受けた。だが眠れない。余計に体がほてってくる。無理して目をつむると、今度は“悪夢”にうなされた。「当時、流行していたインベーダーゲームが夢に出てきた。上から落ちてくる爆弾をバットで必死に追い払おうとする。ところが当たらない。全部空振り。爆弾が頭に直撃する瞬間、ワッとなって飛び起きる。その繰り返し……」

 

 衣笠のバットに快音が戻るのは連続出場記録が途絶えてからである。ベンチに座ることで、「自らの高慢さに気が付いた」というのである。「カキーンという当たりだけがヒットじゃない。グチャッでもポテンでもいい。ヒットはヒット。素直に喜べばいいのよ」

 

 スランプは成長のための試練、つまり乗り越えるためにあるのか。鉄人の答えは違っていた。「いやスランプを乗り越えようとしちゃダメ。真っ暗などん底で、ひたすらもがくしかない。そこで光と出会う。それこそは苦しんだ者だけに与えられる特権なんです」

 

<この原稿は19年5月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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