現役最年長の巨人・上原浩治がシーズン中の引退を発表した。

 

 

 座右の銘である「雑草魂」を地で行く21年間だった。

 

 1998年のドラフト1位である。逆指名で巨人に入団した。

 

 そんな経歴だけ見ればエリートの印象を受けるが、彼は大学(大阪体育大)に入学する前、1年間の浪人生活を経験している。本人によると、「人生で一番辛い時期」だった。

 

「朝から晩まで勉強して、少しでも学費の足しになれば、との思いからアルバイトまでした。ボールを握る暇もなかった。先が見えないことが一番の不安でした」

 

 特待生扱いで強豪大学に入り、野球漬けの日々を送っている同級生を見るにつけ、「負けるもんか!」との反骨心をたぎらせたという。

 

 プロでは史上初の日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成した。

「与えられたポジションに誇りを持つ」

 

 これが上原の仕事観だ。

「ビジネスの場でいうなら、営業には営業の、総務には総務のプライドがある。お互いに、“なんぼのもんじゃい”と切磋琢磨しつつ、リスペクトもする。それがあるべき姿でしょう」

 

 日本で活躍したことに加え、先発、中継ぎ、抑えと、ピッチャーにおける全ての役割を経験した。これは今後、指導者になった際の大きなアドバンテージとなるだろう。

 

 通常、ピッチャーはキャリアを重ねるごとに球種が増えていくものである。ところが上原の場合、徐々にそぎ落としていき、キャリアの終盤はストレートとフォークボールの2種類で勝負していた。

 

 巨人時代、先輩の工藤公康に相談したところ、「球種を増やすより今の球種を磨け」とアドバイスされた。それがよかったのだと上原は語っていた。

 

 テンポのよさも、上原の長所のひとつだった。巨人時代の先輩、松井秀喜は「あれだけ守りやすいピッチャーはいなかった」と語っていた。野手からも愛されたピッチャーだった。

 

<この原稿は2019年6月10日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 


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