岸川登俊(白寿生科学研究所人材開拓課)第79回「選手と裏方、計23年のプロ野球生活から転身」

facebook icon twitter icon

 皆さん、はじめまして。元プロ野球選手、そして2017年まで巨人でバッティングピッチャーを務めていた岸川登俊です。現在は白寿生科学研究所人材開拓課で働いています。このたび、「白球徒然 ~HAKUJUベースボールスペース~」のコラムを担当していた松修康の異動に伴い、私が連載のバトンを受け取りました。これからは小野仁と交代でコラムを担当します。こういう経験は初めてですが、少しでも皆さんに楽しんでもらうように頑張りますので、よろしくお願いします。

 

 突然の45歳定年制導入

 まずは簡単に自己紹介を。安田学園高(東京)から東京ガスへ進み、そして95年にドラフト6位で千葉ロッテへ入団しました。プロ入り後はロッテから中日、そしてオリックスにトレードで移籍し、計3球団、7シーズンにわたってプロ野球選手生活を続けました。ですが、なかなか結果が残せず、01年オフに戦力外通告を受け、その後、トライアウトも受験しましたが獲得球団は現れずに現役引退。その後、巨人に誘われて、バッティングピッチャーとして入団し、ここで16年間、現役の7年と合わせて23年間プロ野球で飯を食ってきました。

 

 たぶん現役時代の私のことを知っている人は少なく、裏方時代は高橋由伸選手などの練習パートナーだったことで、野球マニアの方なら「岸川」の名前を知っていてくれるかもしれません。巨人に打撃投手として入ってから、私はこの仕事にきちんと取り組み、チームを支える一員だという誇りも持って日々過ごしていました。これが自分の生涯の仕事なんだろうな、と。ところが、です。私が42歳(2012年)のときに状況がガラリと変わりました。巨人の打撃投手に45歳定年制が導入されることが決まったのです。

 

 そのときの気持ちはビックリしたなんてものじゃありませんでした。あと3年で今の職を辞めなくてはならない……? 真っ先に考えたのは家族、子供のことでした。「3年後、うちの子供は中学から高校に進学する時期だ」と。まだまだこれからお金がかかるのに、一体どうすればいいのか……。

 

 漠然と「次の職」のことを考えながら1年、2年とときが経ち、結局、45歳の定年のときにはあるスポーツ用品メーカーへ再就職が決まっていました。でも、巨人から「もう1年」と遺留されて打撃投手を1年延長。その翌年、同じメーカーへ「今年からでも大丈夫ですか?」と聞くと、「大丈夫です」と返事をもらって再就職……と思ったら、巨人から「もう1年!」と。それで、定年が2年伸びたわけですが、3年目に巨人から「延長」の話はなく、もちろん用品メーカーさんの方も3年経てば人事状況も変化しているわけで、「申し訳ないけど」と。まあ「ですよねー」と納得するしかありませんが、次の仕事が決まっていないというシビアな状況で、これから何をやって家族を養っていけばいいんだろう、という大きな問題に直面しました。

 

 このときに思い出したのが、今は白寿の同僚である松の名刺でした。松とは彼が横浜の打撃投手をやっていた時代からの知り合いで、二軍の仕事で鎌ヶ谷スタジアムに行ったときに偶然、再会したんです。ちょうど3回目の定年延長はないという話をされた時期で、「次の仕事」について考えているときだったので、松には正直に定年の話、就職活動の話などを話しました。松はずっと話を聞いてくれて、それで「何かあったら連絡ください」と名刺をくれたのです。

 

 ずっと「これから何をする」「というか、自分は何ができるんだろう」「何の仕事がしたいんだ?」と毎日、悩む日々で、次の職のことなど何も決まっていませんでした。子供のときからずっと野球漬けの日々で、野球しかやってこなかった私です。次の仕事を考えるときも「野球関連で仕事ができたら」と最初は思いました。でも、そのとき47歳、そして48歳になろうというときでした。10年先を考えると、野球関連というのも難しい。

 

 じゃあ、どうするか。それで松に連絡を入れて、話をして、松は「ウチに来ればいいですよ」と誘ってくれました。その後、今は上司である白寿・田口竜二さんも紹介されて、さらには副社長の原浩之さんとも会い、そこでいろいろと話しをしました。別に「白寿に来い」と熱心に誘われたわけではなく、田口さんたちは「何がしたいの? どう考えているの?」と私の話を聞いてくれて、それに答えているうちに、「あ、野球関連の仕事じゃなくていいかな」と思えるようになりました。

 

 そのときに白寿に入ると決めたわけではありませんが、松や田口さん、原副社長と話すうちに野球以外の世界でやってみるのもあり、と決心がついた次第です。本当、白寿じゃなくても車の運転が好きなのでトラックドライバーにも憧れたり、セカンドキャリアはまったく野球とは別の世界を思い描けました。

 

 こうした経緯で白寿に入り、この6月で8カ月になります。松の後を受けて、運動部系大学生の就活のサポートが主な業務ですが、まだまだ私は新人なので具体的にアドバイスをしたりすることはありません。日々、勉強中です。

 

 大学生への就活サポートでは、自分のプロ23年間の経験で得たことを話して、学生たちが気持ちを切り替えて、野球以外にも目を向けられるようにできたらと考えています。とはいえ、私もずっと野球をやってきた人間です。私は50歳近くなってのセカンドキャリアだったので、意外とすんなり割り切れました。でも、20歳代、30歳代で球団をクビになっていたとしたら……。野球にこだわっていたかもしれないので、学生や元アスリートの切り替えられない心情もわかります。

 

 プロ野球で成功も失敗も数多く間近で見てきた経験を白寿での仕事にいかしていきます。そしてこのコラムではそうした業務のこと、またプロ野球時代の思い出などを書いていきますので、よろしくお願いします。では、また次回お目にかかりましょう。

 

<岸川登俊(きしかわ・たかとし)プロフィール>
1970年1月30日、東京都生まれ。安田学園高(東京)から東京ガスを経て、95年、ドラフト6位で千葉ロッテに入団。新人ながら30試合に登板するなどサウスポーのセットアッパーとして期待されるも結果を残せず、中日(98~99年)、オリックス(00~01年)とトレードで渡り歩き、01年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。引退後は打撃投手として巨人に入団。以後、17年まで巨人に在籍し、小久保裕紀、高橋由伸、村田修一、阿部慎之助らの練習パートナーを長く務めた。17年秋、定年退職により退団。18年10月、白寿生科学研究所へ入社し、現職は管理本部総務部人材開拓課所属。プロ野球選手をはじめ多くの元アスリートのセカンドキャリアや体育会系学生の就職活動を支援する。

facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP