プロサッカー選手は、星の数ほどいるサッカー少年の中から選りすぐられた人間たちである。そんな中で、突出したごく一部を除けば、選手の才能を見抜くのは難しい。

 

 稲川朝弘が李忠成に目をつけたのは、左足のテクニックとスピードだった。ただし、粗い選手だとも見ていた。

 

「左足、スピードという武器は持っているけれど、その使い方を間違っていた。例えば、ヘディングで相手のディフェンダーと競るとします。そのとき、彼は相手の真正面からバーンと当たっていく。普通に行ってもなかなか勝てない。タイミングを外す、あるいは自分を守りながらうまく上手く体を当てる。そういう当たり前のことができなかった」

 

 稲川がそんな感想を伝えると、李は驚いた顔になった。そうしたプレーを考えたこともなかったのだと稲川ははっとした。

 

「彼はジュニアユース、ユースで考えてプレーしなくても、なんとなくやっていけた。でもプロの中ではそんな風には行かない。大人のサッカーの中に入る準備ができていなかった」

 

 稲川は李の激しい気性を気に入っていた。人間は少々やんちゃな方が面白いというのが、稲川の考えだ。負けん気の強さが正しい方向に向かったとき、彼の力を大きく伸ばすことになるだろうと見ていたのだ。

 

 気性の激しさは表裏一体

 

 しかし、柏レイソル内では、その性格が空回りしていた。

 

 レイソルのフォワードには、日本代表の玉田圭司、アトランタ五輪代表バックアップメンバーだった安永聡太郞、ブラジル人のレイナルド、クレーベルという選手が在籍しており、李にはなかなか出番が回ってこなかった。

 

 紅白戦では、仲の良かった谷澤達也とコンビを組み、派手にパスを交換した。そして得点を決めるとわざと大げさにはしゃいでいたという。自分を使わない監督の早野宏史に対する当てつけ、だった。周囲の選手はそんな姿を冷ややかに見ていた。

 

<そのうちに紅白戦でも呼ばれないことがあり、忠成は早野監督に食ってかかった。

「なんで、オレを出してくれないんですか」

「そんなこと言うなよ。おまえには輝かしい未来があるじゃないか」

 早野は、そうやってなだめたが、忠成は納得できなかった。

「今出られなければ、その輝かしい未来だってないでしょう!」

「わかった、わかった」>(『忠成 生まれ育った日本のために』ゴマブックス、加部究著)

 

 2005年シーズン、レイソルは16位に沈み、入れ替え戦に回った。そしてヴァンフォーレ甲府に敗れてJ2に降格。監督の早野は解任。石崎信弘が後を引き継いだ。

 

 再び、前出の『忠成 生まれ育った日本のために』を引用する。

 

<石崎の耳には、忠成はあまり素行の良くない選手だという噂が入って来ていた。石崎が着任して早々に忠成は故障をして、メディカルスタッフから練習を止められていた。だが本人はやると言って引かず、逆に復帰まで余計に時間を要することになった。

「人の言うことを聞いていない」

 忠成は、石崎によく注意をされたという>

 

 若手選手を鍛えなければJ2では戦えないという考えもあったのだろう、石崎は李に厳しく接した。これに対して李は反発。行き場を失ったピンポン球のように感情を爆発させた。

 

 シーズン前の紅白戦ではディフェンダーの中澤聡太の後ろから滑り込み、中澤は内側靱帯を損傷した。大宮アルディージャとの練習試合の試合終了後、防寒具の入った袋を蹴り上げ、石崎から呼び出されて注意されている。さらに、サテライトリーグの開幕戦、ジェフ千葉のディフェンダーを蹴り、レッドカードを受けた。

 

 改心のきっかけ

 

 李は稲川にこううそぶいたことがある。

「たぶんあの監督は朝鮮人が嫌いなんですよ」

 

 こいつは何を言っているのだと稲川は頭を抱えた。稲川の目に、石崎は李を懸命に育てようとしていると映っていたからだ。

 

 そんなある日のことだった。

 

 稲川がレイソルの練習場に行くと石崎が声を掛けてきた。それまで石崎とは面識はなく、きちんと話したことはなかった。

 

「石崎さんが“稲川さんですよね。初めまして”って話しかけて来たんです。“俺、チュンソン(忠成)はすごくいい選手になると思っているんです。彼のために一緒に協力してもらえますか”って。その言葉をチュンソンに伝えたら、“えっ”という顔になった。そこから心を入れ替えて頑張るようになった」

 

 2006年シーズン、李は31試合に出場し8得点。レイソルは横浜FCに続く2位となり、1年でJ1への復帰を決めている。

 

 シーズンが終盤に進む頃、稲川のところに人を介して23歳以下日本代表の反町康治が李に興味を持っているという話が伝えられた。稲川はすぐに反町に連絡をとって欲しいと頼んだ。

 

「反町さんと新宿で会いました。そうしたらオリンピック代表に呼んでみたいが、帰化する意思はあるかっていうんです。Jリーグでは日本生まれ日本育ち、日本の教育課程を終了している選手については1チーム1名まで“在日枠”で登録できた。李はそれを使っていた。ただ、在日枠じゃいやだから、チュンソンも帰化申請を出そうかと検討していた時期だったんです。代表に呼ばれるというので、チュンソンのお父さんと話し合って、帰化を急がせることにした」

 

 翌2007年2月、李は日本国籍を取得。2月18日に熊本で行われていた23歳以下日本代表の合宿に合流した。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

 1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社+α文庫)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社文庫)、『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』(集英社インターナショナル)、『ドライチ』(カンゼン)、『ドラガイ』(カンゼン)など。最新刊は『全身芸人』(太田出版)。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。公式サイトは、http://www.liberdade.com


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