小野仁(白寿生科学研究所人材開拓課)第81回「自ら体現しつつ教えること、目指せ50歳での140キロ!」

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 皆さん、こんにちは。今のような梅雨の時期は不快指数が非常に高くなり、何をするにもまとわりつくような湿度の濃いベタベタ感がイヤなものですね。1年の中でも一番苦手な季節でありますが、皆さんはどの様な工夫を凝らしながらお過ごしになるのでしょうか? 良い方法があるのであれば是非教えて頂き、直ぐに実践したいですね!


 さて、今年の3月にお伝えしたかと思いますが、私は各大学の体育会系の学生(主に野球部)に向けて就活支援を行うため、学生と面談をしたり、グラウンドへ足を運び一緒に汗を流しながら学生や野球部との関係の構築、さらに支援者との関係性を高めることを業務としております。

 

 学生とともに汗をかくということで、私も一緒になってキャッチボールやトレーニングを行ったりすることが頻繁にあります。

 

 私も今年で43歳。大学生の選手とトレーニングを頑張ってしまうと身体が悲鳴を上げてしまい本業に支障を来たしてしまうこともあります。とはいえプロ野球の投手出身ということで、特に大学の投手陣とのコミュニケーションはキャッチボールが多く、そのときに心がけているのが「ボールを受けるだけではないぞ」ということです。

 

 今の能力でできる範囲でしっかりとしたバランスとボールのリリースを強く意識しながら投げ、気持ちを入れた強いボールを放るように心掛けています。

 

 私自身、まだまだ野球のことを学ばなければならないですし、人に教えること、人を導くことも半人前以下です。では、自分の取り柄は何だ? それをそういかすのか? 他の人材紹介会社とは違う付加価値は何か、と考えたとき、「まだ自分は動けるし、投げられる。だから需要があれば野球のお手伝いができる」という結論に達しました。

 

 大学生と会ったときに、最初に言葉でアドバイスをすることもありますが、まず自分自身が手本となって、選手に少しでもインパクトを与えられる動作や投球をすることで、その後の選手とのコミュニケーションの取り方が格段に変わってきます。そうすることで選手の方から、どんどんと心にある考え方や悩みを打ち明けられ、将来のことを相談されるという展開も多々あります。

 

 スーツでグラウンドに足を運ぶことも大事ですが、やはり同じ野球に携わった人間として、大学生ともボール1つで心を交わし、それで相手との距離が縮まったことを実感しています。そういう関係性が築けるのも、衰えを感じながらですが気持ちが入った球を投げているからこそです。そして43歳になっても支障なく投げられる丈夫な身体に産んでくれた親に本当に感謝しています。

 

 前回は新しいコラム執筆者として、私のプロ野球の先輩である岸川登俊が登場しました。彼は4月から同じ人材開拓課で働いていますが、長きに渡りプロ野球界で生きてきた方で、これからどんどん良い人材を発掘しなければならない中で大変心強いパートナーだと感じています。また私自身ももっと精進しなければいけない、と改めて思いました。


 球界の先輩である岸川からは、経験から生まれてくる実体験に基づいた話、プロ野球界で現場や現役選手との繋がりが多い人望の厚さ、コミュニケーションの取り方など、見習わなければいけないところが多々あります。何よりも大学野球部へ訪問した際に、30分程、平気でバッティングピッチャーをこなせる体力を見習わなければ、と(汗)。私は20分程度投げるだけで肩で息をするくらいバテバテになり、しかも”岸川投手”はコーチング力にも優れています。

 

 新しい戦力が入ったことで、「まだまだ努力が足りないぞ、小野!」と自らに言い聞かせる毎日です。今の仕事や自分自身に日々問いかけながら「今日より明日は少しでも進歩・前進している」というテーマを持って毎日を過ごし、業務にあたりたいと気持ちを新たにしました。そしてプライベートではもっと身体を鍛えていこうか、と。目標は140キロの投球を50歳になってもできること。そのためにもできることを毎日、確実に積み重ねたいと思っています。

 

 さて、イヤな季節の梅雨が過ぎれば、私の大好きな夏がやってきます! ここで目標をもうひとつ。今年は久々に海に行きたいと思っています。そのためには海パンになってもお見苦しくないように体を鍛えないと……。その成果はいつかこのコラムで写真をお見せできれば……なんて(笑)。では、また次回のコラムでお会いいたしましょう!

 

<小野仁(おの・ひとし)プロフィール>
1976年8月23日、秋田県生まれ。秋田経法大付属(現・明桜)時代から快速左腕として鳴らし、2年生の春と夏は連続して甲子園に出場。94年、高校生ながら野球日本代表に選ばれ日本・キューバ対抗戦に出場すると主軸のパチェーコ、リナレスから連続三振を奪う好投で注目を浴びた。卒業後はドラフト凍結選手として日本石油(現JX-ENEOS)へ進み、アトランタ五輪に出場。97年、ドラフト2位(逆指名)で巨人に入団。ルーキーイヤーに1勝をあげたが、以後、制球難から伸び悩み02年、近鉄へトレード。03年限りで戦力外通告を受けた。プロ通算3勝8敗。引退後は様々な職業を転々とし、17年、白寿生科学研究所に入社。自らの経験を活かし元アスリートのセカンドキャリアサポートや学生の就職活動支援を行っている。

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