二宮清純: 現役時代のお酒との付き合い方は?

松田丈志: お酒は大好きでしたが、大会が近付き、トレーニングを始めたら基本的には飲まなかったですね。オリンピックや世界選手権などが終わった後の1カ月くらいはゆっくりしているので、その時は逆に集中的に飲んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

二宮: 例えばオリンピックイヤーは何カ月前から禁酒していましたか?

松田: 年明けから飲まなかったですね。

 

二宮: 現役を引退された今はもう制限なく飲めますね(笑)。

松田: そうですね。翌日、朝早い時は控えたりはします。あとは講演の前日もですね。講演だと、約90分間をどう使うか、自分で組み立てないといけませんから。

 

二宮: そうですか。僕も結構講演をしますが、前の晩でも相当飲んでいますよ(笑)。

松田: アハハハ。それはもうキャリアが全然違いますから。

 

二宮: 宮崎県出身の松田さんは久世由美子コーチとの二人三脚でオリンピックメダリストにまで上り詰めました。

松田: 4歳でスイミングスクールに入ってから、平井伯昌コーチに1年間教わった時期を除けば久世コーチにずっと指導を受けてきました。

 

二宮: 地方出身で、決して恵まれた環境にはなかった。それでも松田さんはオリンピック4大会に出場し、4個のメダルを獲得しました。ハンディキャップをアドバンテージに変える強さがありました。

松田: 僕自身、常に“地方からでもやってやる”“恵まれない環境でもやってやる”という強い気持ちがありました。

 

二宮: 恵まれない環境の中で、“自分は本当にオリンピック行けるのか”という不安はなかったですか?

松田: いや、それはなかったですね。高1で出場したシドニー五輪の国内選考会は3位でした。1500m自由形で、2位とは7秒差でした。その時の自分は選考基準を明確に理解していなかった。“オリンピックに行きたい”とは思っていましたが、まだリアリティーのある目標ではなかったんです。選考会が終わってから、悔しい気持ちが湧いてきた。その後ですね。“次こそは絶対オリンピック目指す!”との意志を固めたのは。

 

 想像の中のオリンピック

 

二宮: 2004 年のアテネ五輪が初のオリンピック出場でした。

松田: 200mバタフライは準決勝敗退。400m自由形は8位でした。

 

二宮: 多くのアスリートが初めてのオリンピックは、緊張のあまり地に足が着かなかったと言います。松田さんはオリンピックに4度出場されましたが、やはり初めての大舞台は違っていましたか?

松田: オリンピックは1度経験しているか、していないかで、ものすごく大きな違いがあります。初出場の場合、オリンピックは想像でしかないから、“たぶんこんな感じだろう”と準備して挑みます。しかし、その想像と何かひとつでもギャップがあった時に慌ててしまうんです。

 

二宮: なるほど。松田さんも最初の時は地に足が着かなかったわけですね。

松田: 一生懸命準備をしようとはするんですが、全てが想像でしかありません。その想像のクオリティーを上げるためには、オリンピックを経験したことのある人に話をたくさん聞くしかない。しかし04年当時の僕は不器用なところがあり、それすらできませんでした。

 

二宮: 北島康介さんはシドニー五輪がオリンピック初出場でした。4位に終わりましたが、17歳での悔しい経験がアテネ、北京での4つの金メダルに生きたんでしょうね。

松田: それは相当あると思います。シドニー五輪で男子日本代表はメダルゼロだったんです。女子は中村真衣さん、中尾美樹さん、田島寧子さん、400mメドレーリレーでもメダルを獲りました。男子は康介さんが100m平泳ぎで4位。惜しくもメダルを逃してしまった。“日本男子は弱い”と見られるわけですし、康介さん自身、悔しい思いはすごくあったと思います。

 

二宮: オリンピックにおけるメダリストと非メダリストの差は帰国便に如実に表われます。タラップでは金メダリストから順に降りてきますもんね。

松田: ええ。それはもう。帰りの飛行機、メダリストはエコノミークラスからビジネスクラスにアップグレードされます。それ以外はエコノミーのままです。帰国後はメダルを獲った人だけがメディアの前に立ち、獲れなかった人は基本的にメディアに呼ばれることもない。僕のアテネ五輪での経験で言えば、大会期間中まではいろいろな人がインタビューに来てくれました。しかし大会が終わったら、誰一人来なくなりましたよ(笑)。

 

二宮: 帰国便での“格差”は「小さくするべきだ」という意見もあれば、一方で「選手のモチベーションになる」との声もある。

松田: うーん、両方ありますね。でも勝負の世界なので、露骨にやる必要はないですが、やっぱり勝者は讃えられるべきだと思いますね。

 

 スポンサー探しで得た経験

 

二宮: 松田さんは北京五輪の200mバタフライで銅メダルを獲得しました。オリンピックメダリストという称号を得ることで、人生は変わりましたか?

松田: 変わったと思いますね。特に引退した後のセカンドキャリアに関わってきます。メダリストか否かで、大きく待遇が違ってきますからね。

 

二宮: オリンピックで初めてメダルを獲った時はどんな気持ちでしたか?

松田: メダルを獲った翌日は自分の枕元にあるのが不思議な感じでした。でも、メダルそのものに執着があるかというとそうでもない。

 

二宮: 久世コーチも喜んだでしょう。

松田: 喜びましたね。僕らは宮崎から頑張ってきた。その分、いろいろな人の熱意や思いに支えられてきました。それがメダルというかたちで成就した。本当に大きな達成感を得ることができました。

 

二宮: スポンサー支援を依頼する手紙を何百社分にも送るなど、ご苦労があったと聞きました。

松田: ええ。北京でメダル獲った後だから2010年のことです。リーマンショックの影響により所属先との契約が1年で終わってしまったんです。

 

二宮: そこで株価まで調べて手紙を書いたと。

松田: どういう企業ならスポンサードしてくれるんだろう、と自分なりに考え、探しました。

 

二宮: その経験は今に役立っていますか?

松田: はい。とてもいい勉強になったと思います。自分でスポンサーを探したことで、そのありがたみが身にしみてわかるようになりました。それが“結果で恩返しする”という強い気持ちに繋がっていったんです。

 

 次世代に繋いだリレー

 

二宮: 2012 年ロンドン五輪は200mバタフライで2大会連続となる銅メダルを獲得しました。さらに銀メダルを手にした400mメドレーリレーでは、「(北島)康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない」という名言まで飛び出しました。その年の流行語大賞トップ10にノミネートされましたね。私も印象に残っています。

松田: 僕はアテネ五輪でメダルを獲れない悔しさを味わっていますから、康介さんは絶対悔しいだろうなと。既に康介さんは金を4つ獲っているとはいえ、手ぶらで帰すわけにはいかなかった。そして何よりもリスペクトする先輩にそんな思いをしてほしくなかった。あの言葉は僕だけではなく、上野広治監督も使っていましたし、みんなの合言葉にもなっていました。

 

二宮: 陸上も含め日本人はリレーが好きですからね。国民性なのかリレーで勝つと妙に盛り上がります。

松田: 現場でやっていてもそれは感じます。逆に外国勢では個人戦ほどのやる気をリレーで発揮しない選手もいます。唯一それが当てはまらないのがアメリカですね。彼らは星条旗のもとに誇りを持って集まっている。だからリレーも強いんです。

 

二宮: 2016年のリオ五輪では800mフリーリレーで52年ぶりにメダルを獲りました。松田さんはアンカーとして快挙に貢献しました。日本勢が自由形でメダルを獲得するのは簡単ではありません。

松田: あのメダルは自分の中も日本の水泳界に貢献できたなと思っている部分の一つです。800mフリーリレーのメダルは前回の東京五輪以来ですからね。それに今の現役選手たちを見ていると、800mフリーリレーに関して“最低でもメダルは獲らなきゃいけない”という雰囲気になってきています。400mリレーの選手たちは僕らがメダルを獲ったのを見て、“次は自分たちが!”と思っています。僕も後輩たちに「次は400mも獲ってくれ」と言いました。次世代に新たなモチベーションを与えられたという意味でも、すごく良かったと思っています。

 

 気軽にトレーニングできる場所を

 

二宮: 松田さんはオリンピックで計4個のメダルを獲得しました。金メダルは獲れませんでしたが、16年に引退を決めた時に思い残すことはなかった?

松田: 金を獲りたかったなという思いは今でもくすぶっています。しかし 32歳まで現役を続け、自分の水泳選手としての能力は出し切った。心置きなく引退できたことはアスリートとして幸せだと思いますね。

 

二宮: 悔いを残してやめる人もいますからね。

松田: そうですね。やりたくてもやれなかった人もいますし、その時は限界だと思って辞めたけど数年経ってから後悔する人もいます。もうちょっとできたかもしれない、と。幸いなことに、そういう思いは僕になかった。ロンドン五輪が終わった後は、辞めるかどうかすごく悩みました。今はあの時に辞めなくて本当に良かったと思っています。

 

二宮: ところで、これまでで一番美味しかった酒は?

松田: やっぱりリオ五輪の時が一番ですね。ブラジルへの飛行機はエコノミークラスでした。差額分を出せばビジネスクラスにアップグレードできたので、僕は移動距離も考え、自腹を切ってビジネスクラスにチケットを変えました。他のリレーメンバーは、そのままエコノミーで行ったのですが、体がガチガチで、2日間くらいまともに練習もできなかった。それもあり、「帰りはメダルを獲って絶対ビジネス乗るぞ」とメンバーと話し合っていました。800mフリーリレーでメダルを獲ることができ、ビジネスクラスで乾杯したのは良い思い出ですね。焼酎も飲みましたよ。

 

二宮: 今後はどのような活動をしていきたいですか?

松田: 今は解説や 講演などの仕事をいただいていますが、スポーツを語る人間としてはまだまだだと思っています。もっと突き抜けるためには、僕個人がスキルアップしていかなければいけない。

 

二宮: 横浜のみなとみらいでスポーツジムの経営に乗り出したと伺いました。

松田: 子どもからお年寄りまで気軽にトレーニングできる場所をもっとつくっていきたい。自分が宮崎にいた頃、そういう場所がなかったから余計にそう思うんです。もっと日本人がライフワークの中で身体を鍛えられるようになれればいいなと。その手助けをしたいと考えています。

 

二宮: いや、今日はかなり飲みました。また機会があれば、続きをやりましょう。

松田: ぜひ! このお店(『ドロップキック』)も大変気に入ったので、今度後輩を連れてきますね。この『木挽BLUE』をキープしていいですか。後輩には酒の強いのが多いですから(笑)。

 

(おわり)

 

松田丈志(まつだ・たけし)プロフィール>

1984年6月23日、宮崎県生まれ。4歳から水泳を始める。延岡学園高校を経て、中京大学に進学後、04年アテネ五輪に出場。400m自由形で8位入賞を果たした。08年北京五輪の200mバタフライで銅メダルを獲得。宮崎県民栄誉賞と延岡市民栄誉賞を受賞した。 12年ロンドン五輪ではキャプテンとしてチームを牽引し、200mバタフライで2大会連続銅メダルを手にした。400mメドレーリレーのメンバーとして日本競泳同種目初の銀メダル獲得に貢献。 16年リオデジャネイロ五輪では800mリレーで銅メダルを獲得した。同年、現役引退。オリンピックは4度、世界選手権は5度出場した。引退後は TVのコメンテーター、講演など幅広く活動中。

 

(構成・写真/杉浦泰介)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回、松田さんと楽しんだお酒は芋焼酎「木挽BLUE(ブルー)」。宮崎の海 日向灘から採取した、雲海酒造独自の酵母【日向灘黒潮酵母】を使用し、宮崎・綾の日本有数の照葉樹林が生み出す清らかな水と南九州産の厳選された芋(黄金千貫)を原料に、綾蔵の熟練の蔵人達が丹精込めて造り上げました。芋焼酎なのにすっきりとしていて、ロックでも飲みやすい、爽やかな口当たりの本格芋焼酎です。

 

提供/雲海酒造株式会社


<対談協力>
ドロップキック
東京都新宿区荒木町3 第3ハルシオン1F
TEL:03-5368-8474
営業時間:月曜-金曜18時~翌6時、土曜18時~翌3時、日曜18時~24時
定休日: お盆、年末年始

 

☆プレゼント☆

 松田丈志さんの直筆サイン色紙を「木挽BLUE」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらのメールフォームより、件名と本文の最初に「松田丈志さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)を明記し、このコーナーの感想や取り上げて欲しいゲストをお書き添えの上、お送りください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は19年8月8日(木)。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、松田さんと楽しんだお酒の名前は?

 

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。


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