84歳になっても役者は役者である。
フレッシュオールスターゲームが開催された7月11日、神宮では「ヤクルトスワローズ設立50周年」と銘打たれたOB戦が行われた。
ハイライトシーンは4回、元監督・野村克也の代打での登場だ。古田敦也と真中満に両脇を抱えられるようにして打席に入り、スイングも披露した。
結局、申告敬遠でお役ご免となったが、球場はこの日一番の大歓声に包まれた。
「久しぶりに打ちたかったよ。バーンとセンターオーバーのホームランをね。フッフッフ」
それを受け、愛弟子の古田は「最初は“バットも持てない”と言っていたのに、構えてくれてバットも振りましたからね。すごくよかったですよ」と満足そうに語っていた。
周知のようにノムさんは1990年から98年にかけてヤクルトを率い、リーグ優勝を4回、日本一を3回達成した。文字通り「GOLDEN 90’s」の立役者である。
古田には忘れられない思い出がある。入団して最初のキャンプ、練習後のミーティングでいきなり、ホワイトボードに「耳順(じじゅん)」と書いたというのである。
「普通なら“監督の野村です。オレはこういう野球をやる。だからキミたちはこうしてくれ”。だいたい、こんな感じでしょう。ところが野村さんは違った。僕たちがペンとノートを持って机の前で待っていたら、ドアがガチャーンと開いて、バーンと監督が入ってきた。そのままホワイトボードの前までいき、この字を書いたんです」
さらに、古田は続ける。
「その間、一言もなし。そしてマジックをバーンと置いて僕たちの方へ向き直り、こう言いました。“おい、この言葉を知ってるヤツ、手を挙げい!”。こんな言葉、誰も知るわけがない。基本的に野球選手は勉強が嫌いですからね(笑)」
耳順――。これは論語に出てくる「六十而耳順」(ろくじゅうにしてみみしたがう)の一節で「60歳になると、人の言うことを逆らわずに聞くことができる」という意味である。
まず「無知」であることを自覚する。人としての成長がない限り、選手としての成功はない――。それがノムさんの持論だった。
数多くの教え子に囲まれながら、84歳のノムさんは、誰よりも楽しそうだった。
そう、この人は永遠の野球少年なのだ。1年でも、いや1日でも長生きしてもらいたいものである。
<この原稿は2019年8月9日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>
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