ただの1点。それも試合の趨勢が決してからの、焼け石に水的な1点だった。とはいえ、そのゴールシーンのインパクトは鮮烈で、「これでこの選手の人生が変わるかも」と書いたのが3カ月前のことだった。

 

 まさか、こんなことになろうとは!

 

 ガンバ大阪の21歳、食野亮太郎がマンチェスターCに移籍した。就業ビザの関係もあり、まずはレンタルで大陸のクラブでプレーすることになるだろうが、それにしても、マンチェスターCである。いくら世界中の才能を片っ端から集めているクラブとはいえ、つい数カ月前まではJ3でプレーしていた、年代別代表にもなったことのない選手に目をつけるとは。

 

 自ら売り込みをかけて海を渡った無名の選手を除くと、これまで欧州のクラブに所属した日本の選手は、ほぼ例外なく日の丸をつけた経験があった。買う側にとって、日本代表のユニホームはある種の“保証書”的な意味合いをもっていた。

 

 だが、今回の食野にそうした“保証書”はない。それでもマンチェスターCが手を伸ばしたということは、思うに、2つの意味でエポックメーキングな出来事である。

 

 ひとつは、たとえ日本代表に選ばれていなくとも、Jリーグでの1プレー、1ゴールが人生を変えうる、ということ。海外でのプレーを夢見つつ、そのためにはまず代表入りを、と考えるしかなかった日本人選手の常識は、今後、大きく変わる。見られている、見てくれているという意識は、飛躍を期す若手を劇的に変える可能性がある。言ってみれば百利あって一害なし。とかく自己主張に欠けると見られがちだった日本のアタッカーたちが、機会に飢えた南米やアフリカの選手のメンタルに近づく第一歩になるかもしれない。

 

 もうひとつは、Jリーグの経営に関わる問題。第2、第3の食野が出てくるようになれば、チームとしては日の丸をつけたことのない選手に対しても、将来的な引き抜きがありうると考えるようになる。つまり、これまでは代表選手だけを厚遇しておけばよかったのが、それでは金の卵を格安で買いたたかれることになってしまう。売りに出す際に収益を得るためには、契約の形態や内容をいま以上に吟味する必要が出てくるだろう。このままでは、貴重な文化財をただ同然で流出させてしまった明治期の日本美術界と同じ轍を踏みかねない。

 

 東京大学の教授だったフェノロサやその教え子だった岡倉天心が声をあげるまで、日本の美術界は自分たちの歴史が生み出してきたものへの自信を持てずにいた。同じように、いまの日本のサッカー界には、いまだ海外を崇拝するような空気が根強く残っている。根底にあるのは、やはり、自分たちのリーグやサッカーに対する自信の欠如である。

 

 食野亮太郎のマンチェスターC移籍は、だから、そんな日本サッカー界を変える大きなきっかけともなりうる。無名選手たちの契約条件を改善するには、いま以上の資金も必要になってくる。メルカリの参入など、急速に動き始めた感のあるJリーグがさらなる次元に突入しそうで、いま、猛烈にワクワクしている。

 

<この原稿は19年8月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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