サウサンプトン・フットボールクラブはイングランド南部、ハンプシャー州のサウサンプトンを本拠地とするサッカークラブである。

 

 サウサンプトン水道の最北に位置するサウサンプトンはローマ人が開いた港湾都市として街の歴史を始めている。1912年、豪華客船のタイタニック号がサウサンプトンからニューヨークに向けての処女航海に出航したことでも知られている。

 

 サウサンプトンFCは1885年設立、76年にはFAカップで優勝している。これはクラブが獲得した唯一の主要タイトルである。2005年5月にプレミアリーグから2部に相当するチャンピオンシップに降格、さらに経営危機に陥り、3部リーグに相当するリーグ1に落ちている。

 

 経営陣に交替があった後、2010年にナイジェル・アドキンスが監督に就任。2010-11シーズンから、チャンピオンシップに昇格していた。

 

 サウサンプトンのロッカールームでは試合前、選手の気持ちを盛り上げるために、得点場面を編集したビデオを流していた。その中に2011年1月のアジアカップ決勝戦のオーストラリア戦で李忠成が決めたボレーシュートが入っていた。アドキンスは「プレッシャーの掛かる場面で、慌てることなく冷静にボールを捉えていることが素晴らしい」と李を絶賛していた。それを耳にした稲川朝弘は、知り合いの代理人を通じて李に興味はないかとサウサンプトンに打診をしてみた。

 

 すると――。

「もう即、でしたね。絶対に欲しいと。(李)チュンソンはずっと前から海外に行きたかったんです。(ドイツの)ブンデス(リーグ)の話もちらほら、出ていたんです。でも、チャンピオンシップも面白いねっていう話になった。俺たちは、世界で5番目のリーグであるという表現をしていたんです」

 

 つまり、イングランド、スペイン、イタリア、ドイツの4カ国の1部リーグに続く力があるという意味だ。

「やっぱりサッカーの母国でもある。そこでやれるのは男として格好いいよなって」

 

 上々の滑り出しも……

 

 イングランドで愛されているのは、躯と躯がぶつかる激しいサッカーである。プレミアリーグと比べると選手の技術が劣るチャンピオンシップではその傾向がさらに強くなる。肉体的にも厳しいチャンピオンシップは、欧州サッカーの入り口としては悪くないと稲川は考えたのだ。

 

 2012年1月25日、李はサウサンプトンFCに移籍。その直後、1月31日のカーディフ・シティ戦でリーグ戦初出場している。2月18日のダービー・カウンティFCとの試合で初得点を挙げた。左足を鋭く振り抜いた李らしい得点だった。

 

 しかし――。

 

 3月末に右足靱帯損傷で戦列を離れることになった。全治4カ月から6カ月という重傷だった。

 

 サウサンプトンは4月28日の最終戦に勝利。2位でシーズンを終え、プレミアリーグへの自動昇格を決めている。

 

 李が復帰したのは、8月28日のEFLカップ2回戦、ステベナージ戦だった。ステベナージは「リーグ1」のクラブである。この試合で李は1得点を挙げて勝利に貢献した。

 

 しかし、リーグ戦では出場機会が与えられなかった。

 

 李がプレミアリーグに所属するチームと初めて対戦したのは、2013年1月5日に行われたFAカップ3回戦のチェルシー戦だった。サウサンプトンは1点を先制したが、その後に4点を失った。敗戦濃厚の後半32分に李はピッチに入っている。

 

 プレミアのフィジカルコンタクト

 

 ところが――。

 

「(李)チュンソンはチャンピオンシップでは全く問題なくプレーできていた。ところが、プレミアは、全くレベルが違っていた。バーンとディフェンダーが当たってきて、次の瞬間、チュンソンは空を飛んでいる。彼のフィジカルは決して弱くない。でもプレミアの中に入ると躯が細く見えてしまう。チュンソンは関節系が柔らかいから壊れなかっただけで、大怪我をしてもおかしくないシーンがたくさんあった」

 

 終了間際にチェルシーが1点を追加し、サウサンプトンは1対5で敗れた。この月、リーグ戦で低迷していた責任をとり、アドキンスは解任。新しい監督にアルゼンチン人のマウリシオ・ポチェッティーノが就任した。

 

「チュンソンはディフェンダーのプレッシャーを受けながら前に出るような強さはあるんです。でも、センターフォワードの場合は真ん中で張って、ディフェンダーのプレッシャーに耐えなければならない。プレミアのフォワードはみんなラグビーのナンバーエイトみたいな選手。馬力があって頑丈じゃければできない」

 

 車で喩えると、プレミアの中ではチュンソンは俊敏な軽自動車みたいなものでした。それだと潰されちゃうんですと、付け加えた。

 

 ポチェッティーノの下では出場の機会がないと判断した稲川はすぐに手を打っている。

 

 2013年2月、李は6月までの期限付きでFC東京に移籍。移籍期間終了後、サウサンプトンに復帰したが、やはりカップ戦のみのメンバーという扱いだった。そして2014年に契約解除――。

 

 稲川にとっては少々苦い経験になった。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

 1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社+α文庫)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社文庫)、『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』(集英社インターナショナル)、『ドライチ』(カンゼン)、『ドラガイ』(カンゼン)など。最新刊は『全身芸人』(太田出版)。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。公式サイトは、http://www.liberdade.com


◎バックナンバーはこちらから