身体的能力が高く、技術のあるサッカー選手は世界中に転がっている。サッカークラブは金さえあれば、そうした選手を掻き集めることができる。

 

 ただし、ごく一部のクラブを除いて、資金には限りがある。それぞれのクラブは自らの予算の中で精一杯の選手を揃えることに頭を絞る。そしてサッカーが面白いのは、金を掛けて著名な選手を集めれば勝てる、というものではないことだ。

 

 1990年代初頭に設立されたJリーグは世界で最も選手に高給を支払うことのできるリーグだった。その経営を支えていたのは、力は落ちつつあったとはいえ、世界を舞台に利益を上げていた日本企業だった。

 

 その状況は日本経済全体が地盤沈下するにつれて変化した。もはや“金”の多寡では欧州、中国、あるいはロシアなどのクラブチームとは勝負にならない。日本が勝っているのは、治安の良さと約束がきちんと守られること、ぐらいだろう。そのため日本のサッカークラブは、まだ発見されていない原石、あるいは埋もれた選手を見極める目が必要になってくる。

 

 稲川朝弘はJリーグ草創期、金をふんだんに使えた時代に間に合わなかった代理人である。そして安易な成功体験がなかったからこそ、生き残ったとも言える――。

 

 可能な限り安く、良質な選手を捕まえる――彼の見つけた鉱脈はブラジル北東部だった。かつてウェズレイを見つけた場所だ。

 

 そのひとりが、レアンドロ・ドミンゲスである。

 

 レアンドロ・ドミンゲスはバイーア州のビットリア・コンキスタという田舎町で生まれた。“ミノタウロ”こと、格闘家のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの出身地でもある。

 

 レアンドロ・ドミンゲスは地元のECビットーリアの下部組織に入り、プロ契約を結んだ。その後、ミナスジェライス州のクルゼイロに移籍し、リオ・デ・ジャネイロ州のフルミネンセに短期間レンタル移籍している。

 

 十分に突き抜けるほどの才能がありながらも、運、巡り合わせが悪く、ブラジル国内のビッグクラブで結果を残せなかったというのは、ウェズレイと同じである。

 

 稲川によると、この右利きのフォワードに最も早く目を付けたのは横浜FCだったという。

 

「しかし、(ビットーリアが要求する金額に)5万ドル足りなくて獲れなかったんです」

 

 その数年後、稲川はレアンドロ・ドミンゲスを柏レイソルに入れている。2010年のことだ。

 

「このときコリンチャンスからも話が来ていたんです。ぼくの目の前でコリンチャンスとの契約書を破いてくれた。それで日本に連れてきたんです」

 

 コリンチャンスからの誘いは決して悪いものではなかったはずだ。

 

 ブラジルの年俸高騰

 

 ブラジル国内の年俸高騰が始まっていたのだ。

 

 その嚆矢は2008年12月にコリンチャンスへ移籍したロナウドだった。彼の月収は180万レアル(約9000万円)であると報じられた。

 

 この数字にはからくりがある。

 

 ロナウドがコリンチャンスから純粋にプレーヤーとして得ている金額は、月55万レアルのみ。残りは、コリンチャンスがロナウドと契約したことで獲得したスポンサー料の4分の3を彼に支払う契約だという。

 

 この他、2010年にフルミネンセに移籍したデコの月収は、55万レアル(約2750万円)である。

 

 そして、2011年にはロナウジーニョがイタリアのACミランからフラメンゴへ移籍している。彼の月収は、130万レアル、日本円で約6500万円。これらには全て、スポンサー絡みの金が含まれている――。

 

 ブラジルのビッグクラブに対してもJリーグは金銭では対抗できない時代になっていた。レアンドロ・ドミンゲスがコリンチャンスではなく、当時J2の柏を選んだのは、治安の良さに加えて、遅配なく給料が支払われるという安心、そして早くから目をつけていた稲川に対する信頼があったことだろう。

 

 同じブラジルでもサンパウロやリオ・デ・ジャネイロなどの大都市とそれ以外の地域には経済的格差がある。北東部にはまだ手を出す余地があったと稲川は言う。

 

「(選手の移籍金、年俸は)ミナス、サンパウロ、リオに比べると安い。あの当時は日本人で北東部へ頻繁に足を運んでいたのは、ぼくだけだったと思います。トップチームだけではなく、U-17から全部見る。もちろん、ビットーリアとバイーアの2つのクラブだけですけれどね。一帯の優秀な選手はこの2つのクラブに集まってくるから、それで十分なんです。どんな選手がいるのか、どう成長していくのか、価格がどうなっていくのか、経過を見ていると(選手年俸の相場の)基準が分かってくる」

 

 そんな中、ビットーリアの下部組織に面白い選手を見つけた。足元の技術はもちろん、ヘディングも強い。常にゴールに向かう姿勢も気に入った。やがて彼はトップチームに昇格し、2011年にリオ州のボタフォゴに完全移籍していた。

 

「2012年夏に柏が欲しいというので、移籍金400万ドルでオファーしたんです。そうしたら中国の広州恒大が570万ユーロを積んできた。そして給料も200万ユーロ。こちらはとてもそこまでは払えない」

 

 その後、彼は2016年に上海上港に移籍している。このときの移籍金は1700万ユーロ。日本円で約21億円。年俸は600万ユーロ、約7億円に跳ね上がった。

 

 そして今年から広州恒大に復帰。中国代表になったフォワード、エウケソンである。

 

 そんなお金が貰えるんだから日本に来なくて良かったねって、彼に言ったんだよと稲川はフフフと声を出して笑った。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

 1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社+α文庫)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社文庫)、『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』(集英社インターナショナル)、『ドライチ』(カンゼン)、『ドラガイ』(カンゼン)など。最新刊は『全身芸人』(太田出版)。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。公式サイトは、http://www.liberdade.com


◎バックナンバーはこちらから