マラソンの距離は42.195キロ。昔のランナーは、それを「死に行く覚悟」と読み変えたりしたものだ。

 

 15日に東京都内で行なわれたMGCは、20年東京五輪の日本代表選考会とあって、ランナーひとりひとりに「死に行く覚悟」のようなものが見受けられた。

 

 負けたからといって命まで取られるわけではない。「死に行く」は大げさだろう、と思われるかもしれないが、2位以内を確保し、五輪出場切符を手にできるのとできないのとでは、それこそ天国と地獄である。

 

 一見したところ「死に行く」からは程遠い感性の持ち主のように映る設楽悠太がMGCを中継したTBSのアナウンサーたちに、「僕は快走するかタレるかのどちらか。快走すればぶっちぎっているはず。タレたらビリかもしれない」と語ったという話を聞いた時には驚いた。まさに「Do or Die」。殺るか殺られるかだ。彼は37キロ過ぎで討ち死にした。

 

 2着をもぎとった服部勇馬にも「死に行く覚悟」が見てとれた。42キロ手前の上り坂だ。優勝は中村匠吾、大迫傑、服部の3人に絞られた。前を行く大迫は後方の服部にチラリと目をやった。これが命取りとなった。レース後、服部は語った。「大迫さんが後ろを振り返ったので、もしかしたら抜かせるかも。踏ん張れました」。五感を極限まで研ぎ澄ましているからこそ、ライバルのちょっとした仕草も見逃さなかったのだろう。もし大迫が後ろを振り返っていなかったら……。

 

 脳裡をよぎったのは今から 40年前のレースだ。幻となったモスクワ五輪をかけた暮れの福岡国際。茂、猛の宗兄弟との死闘を制したのは前年の覇者・瀬古利彦だった。 40キロ過ぎ、猛が満を持してスパート。それを懸命に茂が追う。瀬古は「3位狙いかな」と一度は諦めかけた。ゴールまで1キロ。ここで予期せぬ出来事が起きる。宗兄弟が同時に瀬古の方を振り向いたのだ。「後ろを振り返るのはしんどい証拠。2人とも足が限界に達している……」。一瞬で瀬古は宗兄弟の状態を看破し、逆転につなげたのである。

 

 陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古に「死に行く覚悟」について問う。「本当は振り返っちゃいけない。しかし自分に不安があると自然に相手を見ちゃう。これは人間の本能。42.195キロは戦場。そこでは本能が全て露になってしまうんです」

 

<この原稿は19年9月18日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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