稲川が代理人としての仕事を始めたのは、92年のことだ。
Jリーグバブルだったその時期、年上の代理人たちがサッカー界を動かしていた。稲川の言葉を借りれば「経験値はないし、人生語れないし、当分駄目だなと思いましたもの」という存在だった。それから30年近く経ち、彼はこの世界での古株となった。
彼が歩んできた時間は日本サッカーが長足の進歩を遂げた期間と重なる。今では日本人選手が当たり前のように欧州のトップリーグでプレーし、日本代表はワールドカップに連続出場するようになった。
彼が手掛けた、前園真聖、李忠成はそうした礎になった選手、ともいえる。これからはもっと世界中に日本人選手が出ていくでしょう、代理人としては楽しみですねとぼくが言うと「いや、もうおじさんは疲れてしまったんですよ」と冗談めかして笑った。
「だって56(歳)ですよ。若い選手の代理人ならば10年ぐらいのスパンを考えますよね。そうなると66(歳)までやらなきゃいない。それならば若い奴に任せたほうがいい。そもそも(選手たちと)もう話が合わなくなってきている」
インターネットを中心とした情報技術の進歩は、国境を跨ぐ代理人の仕事を変えた。
YouTubeを利用する、あるいはスカウトに特化した専門チャンネルと契約すれば、世界各国のリーグ戦を観ることができる。代理人がついている選手なのか、それが誰なのかも検索すれば出てくる。そして、メールを使えば、そうした代理人と連絡をつけることができる。
ただし――。
稲川は自分の眼で観ることを大切にしている。年に最低数回はブラジル、そして欧州に長期滞在。日本のクラブに紹介する、ほとんどの外国人選手は稲川が何らかの形で、現地で視察済みである。
「直近で観に行った選手もいれば、数年前に観たことのある選手もいます。“例えば、2年前はああいう選手だったけれど、今はどうだろう”ってビデオで確認するんです。大丈夫だ、クオリティーは落ちていないと判断できればゴーサインを出せる」
試合を見るとき、メモを取らないのが稲川の流儀である。記憶の残るほど、飛び抜けたものがあるかどうかというのが判断基準だからだ。
「メモは取って良かったという経験はないです。もちろんクラブに提案するときには、プレゼン資料は沢山作ります。そのときにデータは使いますが、基本はインパクト重視」
外国人選手への気配り
Jリーグに連れてくる選手で大切なのは、本人の力量、そして異文化を受け入れる姿勢を持っているかに加えて、家族の“資質”も大切であるという。
「ブラジル人選手の場合だと奥さん。自分の旦那が一番だと思っている奥さんが多い。日本に来ると(外国人選手枠として)3、4人が競争しなければならない。そのときにでしゃばったりする奥さんがいると人間関係が壊れちゃうんです」
稲川の事務所では外国人選手の日常生活の世話に複数のスタッフを配置している。ピッチ外での生活が安定していなければ、力が発揮できないという考えがあるからだ。
これも長年外国人選手を扱ってきた稲川らしい気配りである。
Jリーグ草創期と現在を比較して最も変わったのは、世界の中での日本人選手の位置づけだろう。
有望な若手選手には、早くから国外のクラブからオファーが届くようになった。なにより前述のように情報技術の進歩により、移籍に関する知識を得ることが容易になった。そこで親族がクラブ交渉に乗り出すということも増えた。すると――日本の代理人が移籍のお膳立てをした後、外されたという類いの話もある。もちろんそれは契約に則ったものであれば法的な問題はない。
しかし――。
「(信頼関係が)軽くなっているんですよ。だったら、外国人選手専門でぼくはやりたい。彼らを日本に連れてくれば、感謝してくれるし」
ただ、外国人選手――ブラジル人にとって、金銭的にJリーグはもはや夢の国ではない。
「それでもやり方はあります。今のサッカーのルールでは“経済権”という考えがある。昔、南米でパス(保有権)と呼ばれたものに近い。ブラジルのクラブに選手を獲りにいったときに、移籍金が100万ドルだったとします。そのときぼくは100パーセント(の移籍金を払うという話)から行かないんです。60万ドルを払って、40万ドルを残しておく。つまり40パーセントの経済権をブラジルのクラブに残すんです。日本で活躍して、中東や中国に移籍すれば、40パーセント分の移籍金が発生する。(日本のクラブと)一緒に中東に売ろうって提案するんです」
中国、そして中東は世界で最も高年俸を支払うリーグとなった。当然、移籍金は莫大なものになる。Jリーグをアジア向けの“ショーウインドウ”とする発想だ。
「一方、J2のクラブだと移籍金を支払えない。レンタル移籍という形をとって、中国などに移籍したときは、10パーセント、あるいは15パーセントの移籍金が手に入るという契約にするんです。そうしたらJ2のクラブも夢を見ることができる」
Jリーグはブラジル人選手の受け入れに成功してきたリーグでもある。同じアジア圏で結果を残したブラジル人選手ならば、計算が立ちやすい。過去にも同様の形で、日本を踏み台にして飛び出していったブラジル人選手は多数いる。
サッカーの話をすると止まらない
最後に――。
生まれ変わったとしたら、また代理人をやりますかと訊ねてみた。彼はフフフと含み笑いをしてこう返した。
「代理人はお薦めできない商売です。二毛作をやっている農民と同じ。年に2回しかお金が入ってこない。日頃儲ける術がない」
年に2回とは、各国リーグが定めた移籍期間のことだ。「商売としては最悪ですよ」とわざとしかめ面をした。
そしてこう続けた。
「農業と言えばね、土壌って問題があるじゃないですか。ヴェルディなんていうのは、(トップチームの)フィールドが高いレベルにあったので、ある時期まで次から次へといい選手が出てきた。親が(トップを)観ていたからそこに行かせたんです。でもトップが駄目になると、別のクラブに行かせるようになる。今はF(C)東(京)やフロンターレに集まっているのかな」
今の若い選手はみんな巧いですよね、とぼくが口を挟むと、稲川は頷いた。
「でもね、小粒になっている気もする。一番大切なところが欠如しているというか。サッカーはコンタクトスポーツだからフィジカルでしょ。フィジカルを鍛えることも必要。そして何より“武器”を持っているかどうか。今のJリーグは相手が来たらすぐにパスする。でも、1人、2人抜ける選手を評価しなきゃ。もちろん、抜くときに(スピードが落ちて)周りのみんなが止まるというのでは困る。1秒で2人を抜き去るというイメージ」
稲川が言う“武器”とはドリブルだけではない。他の選手とは違う、突出した特徴である。それは強靱なフィジカルの場合もあるだろうし、泥臭い守備力の場合もあるだろう。
「(下部組織は)プロが欲しがると思う選手を作らなきゃいけないんです。トップチームは2年後に右のサイドバックを欲しい、というのがあるとします。例えば、ディフェンス中心でもいいから速くて強い選手。でもそういうオーダーが出てこないから、育成は武器を持たない選手、全てが八掛けのような選手を作ってしまう」
サッカーの話が始まると止まらない。稲川朝弘は代理人という自らの職業の前に、この競技が大好きな男なのだ。
(この項おわり)
■田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社+α文庫)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社文庫)、『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』(集英社インターナショナル)、『ドライチ』(カンゼン)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)など。最新刊はドラフト4位選手を追った「ドラヨン」(カンゼン)。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。公式サイトは、http://www.liberdade.com
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