岸川登俊(白寿生科学研究所人材開拓課)第87回「原ジャイアンツのストロングポイント」

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 皆様お久しぶりです。白寿生科学研究所の岸川でございます。プロ野球は今、ポストシーズンの真っ最中です。レギュラーシーズンの優勝はセ・リーグが巨人、パ・リーグは埼玉西武でした。私が打撃投手として16年間お世話になった巨人の優勝には格別の思いがあります。4年ぶりに指揮を執った原辰徳監督がジャイアンツの支配下登録の選手をほぼ全員1軍に呼び、そしてチャンスをもらえた選手たちが、ガムシャラに目の前の勝利に向かっていると感じました。

 

 原監督の下では、いわゆる勝利の方程式と呼ばれるゲーム終盤の投手たちを固定せず、調子のいい投手をどんどん使っていました。そこで結果を出した投手たちが経験値を上げ、自信を付けていったのも勝因のひとつではないでしょうか。当然、勝負事なので打たれることもありますが、そういう時には早い段階でもう一度勝負をさせていると感じました。再びチャンスをもらった選手はそれを意気に感じ、こちらも結果を出していったのだと思っています。

 

 特に私が投手陣に感じたことはストッパーのルビー・デラロサ以外は勝ち負けどちらにも関係なく登板し、どちらの試合でも投げる可能性がありモチベーションの維持など、いい緊張感の中で試合に臨めたのではないでしょうか。ただ、気持ちをコントールするのは大変だったと思います。普通は勝ち試合の投手、負け試合の投手と役割が分かれるのですが、どっちの展開でも行くとなれば試合中に気持ちを切ることができません。すなわち集中力の持続、オンとオフの切り替えがとても難しかったのではないでしょうか。

 

 優勝が決まった9月21日の試合も、高卒ルーキー戸郷翔征を使う大胆さを見せました。そして見事、戸郷も自分の持っている力を出せばいいんだ、と言わんばかりに横浜DeNAのバッター相手にズバズバと投げ込んでいました。それを見て私は身体が熱くなると同時に「自分だったらどうだろう?」と考えていました。たぶん心臓はバクバク、足はガクガクと震え上がっていたことでしょう。ちなみに私のプロ初登板はあまりの緊張で、審判にボーク取られるじゃないかってくらい足が震えていました(笑)。

 

 巨人は野手でも、坂本勇人、丸佳浩、岡本和真はスタメン固定でしたが、それ以外は登録している選手をフルに使いました。ベテランや若手に関係なく、勝利のピースとしてどんどんつぎ込んでいました。その中で選手たちは自分たちで試合の流れを読み、そして準備と自分の1軍での居場所を作るために必死にプレーをしていたと思います。

 

 その中で私は驚くことがありました。それは原監督の外国人選手の起用法です。普通、日本のプロ野球界の外国人選手と言うのは助っ人と呼ばれ、高い年俸をもらいプレーをする。多少調子が悪くても我慢して使い続け、ダメなら代打みたいな感じなのですが、原監督はそういった選手たちに関しても日本人選手と同じ扱いをしているように見えました。

 

 調子が悪いと判断すればファームに落とし別の選手を1軍に上げる。私はそこに原監督の今年にかける想いや覚悟が表れていたと思います。それが優勝したときの涙になったのではないでしょうか。あらためて巨人軍の皆様、優勝おめでとうございます!

 

 監督復帰1年目で優勝させる原監督の手腕はさすがというしかありません。監督が信念をもって臨んだシーズンであり、今年に関しては1軍2軍の監督やコーチ・スタッフが優勝に向け連絡を密にし、チーム、球団一丸となってもぎ取った価値のある優勝だと思います。

 

 そして最後になりますが、私の高校の後輩である阿部慎之助が今季限りでの現役引退を発表しました。私が巨人に来たときには色々と気にかけてもらい、食事や自主トレなどに行き、シーズン中は彼の担当にもなり、何万球を投げました。彼は選手だけでなく、裏方やスタッフともコミュニケーションを取り、チーム全体をいつも考えている素晴らしい男でした。そんな素晴らしい先輩の引退の花道を飾ろうと、後輩たちが大いに頑張ることでしょう。私はその勇姿を見届けたいと思っております。慎之助、最後に身体にムチ打って、もうひと踏ん張りだ!

 

<岸川登俊(きしかわ・たかとし)プロフィール>
1970年1月30日、東京都生まれ。安田学園高(東京)から東京ガスを経て、95年、ドラフト6位で千葉ロッテに入団。新人ながら30試合に登板するなどサウスポーのセットアッパーとして期待されるも結果を残せず、中日(98~99年)、オリックス(00~01年)とトレードで渡り歩き、01年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。引退後は打撃投手として巨人に入団。以後、17年まで巨人に在籍し、小久保裕紀、高橋由伸、村田修一、阿部慎之助らの練習パートナーを長く務めた。17年秋、定年退職により退団。18年10月、白寿生科学研究所へ入社し、現職は管理本部総務部人材開拓課所属。プロ野球選手をはじめ多くの元アスリートのセカンドキャリアや体育会系学生の就職活動を支援する。

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