ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約し、メジャーリーグ昇格を目指していた桑田真澄投手が26日、現役引退を表明した。桑田はここまでオープン戦5試合に登板し、1勝0敗、防御率1.80と結果を残していたが、球団から昇格の可能性がないことを通告された。
 桑田はPL学園時代、1年時からチームのエースとして甲子園に出場。同期の清原和博(オリックス)とともにKKコンビと呼ばれ、全国の高校野球ファンを沸かせた。5度の出場のうち、4度決勝に出場し、2度の全国制覇、歴代2位の通算20勝をあげた。打者としても通算で6本塁打(清原に次いで歴代2位)を放った。

 高校卒業後は進学を希望していたが、巨人からドラフト1位で指名を受けると一転入団を決める。巨人入りを熱望しながら、西武の指名を受けた清原との因縁が話題になった。
 プロ入り後も、桑田はエースとして君臨。2年目に15勝6敗、防御率2.17で最優秀防御率と沢村賞のタイトルを獲得した。この年から6年連続で2ケタ勝利をマークする。
 
 94年には14勝(11敗)をあげ、リーグトップの185奪三振で巨人の優勝に貢献。MVPに輝いた。その後は右ひじの故障で1年を棒に振るなど、苦しいシーズンが続いた。
 復活をみせたのは02年。4年ぶりの2ケタ勝利となる12勝(6敗)、防御率2.22の好成績で、15年ぶりとなる最優秀防御率のタイトルに輝いた。しかし、その後は再び成績が低迷し、06年オフには21年間在籍した巨人を退団。メジャーリーグ挑戦を表明した。

 07年、パイレーツとマイナー契約を結び、開幕メジャーを目指していた桑田に悪夢が襲ったのはシーズンイン直前のこと。オープン戦に登板した際、守備でベースカバーに入った時に審判と交錯し、右足首の靭帯断裂という重傷を負う。
 このまま引退かと思われたが、桑田はリハビリを経て、6月にはついに念願のメジャー昇格。イチロー(マリナーズ)との対決で空振りの三振を奪うなど、中継ぎ右腕としての役割を果たしていた。ところが7月に入ると、大事な場面で痛打を浴びることが多くなり、8月には球団から戦力外通告を受けた。

 去就が注目される中、桑田は「やっぱりメジャーで1勝したい」と現役続行を宣言する。9月に故障した足首の手術を受け、再びパイレーツとマイナー契約。16日のボストン・レッドソックス戦で1回を無失点に抑え、オープン戦ながら“メジャー初勝利”をあげていた。現役生活の通算成績は461試合、173勝142敗、1992奪三振、防御率3.59だった。 

「自分の中では燃え尽きた。思い残すことはない」
 甲子園のマウンドで鮮烈な印象を残して四半世紀、4月1日には不惑を迎えるスターがついにユニホームを脱ぐ。