田中大輝の長い間の努力がようやく花開いたのは、2014年春のことだ。前年まで登板すら2年春の1試合にとどまっていたが、今春は東都リーグで4勝(1敗)を挙げ、ベストナインにも選ばれる活躍を見せた。これで一気にドラフト候補に躍り出たのだ。ところが、日本代表として出場したハーレム国際大会で左肩を痛め、秋は登板ゼロに終わる。それでも本来の実力を買われて、巨人から4位指名された田中に、今の気持ちを訊いた。
 結果よりも買われた将来性

―― ドラフト会議で名前を呼ばれた瞬間の気持ちは?
田中: 秋は1試合も投げていなかったので、正直、不安はありました。4位まで進んだ時には「もうないかな」と諦めの気持ちが出ていたんですけど、名前が聞こえて、最初は興奮しました。その後、ほっとした気持ちになりましたね。

―― 巨人というチームについては?
田中: 歴史と伝統のある球団ですので、厳しいプロの世界の中でも、最も厳しい球団だと思います。でも、だからこそやりがいがあると思っています。(11月23日の)ファン感謝デーの時に、初めて巨人のユニフォームに袖を通しました。「これからプロで頑張っていくんだな」と、実感がわきました。

―― 球団からの期待はどんなふうに感じている?
田中: 秋は投げることができませんでしたが、「春の結果で十分」とおっしゃっていただきました。結果ではなく、選手としてこれから伸びるというふうに見ていただいたんだと思っています。「新人合同自主トレやキャンプに合わせようとして、焦る必要はない。とにかく肩を万全の状態に治してから、シーズン後半には先発ローテーションを争うことができれば」と言っていただいています。今はノースローですが、トレーニングはできるので、1年間ローテーションを守り抜けられるような力をつけながら、まずは1勝を目指したいと思います。そして、将来的にはチームの柱となれるようなピッチャーを目指していきたいと思います。

 イップスからのフォーム修正

―― プロを強く意識するようになったのは?
田中: 小学校の頃は、夢として「プロ野球選手」というのはありましたが、中学、高校と現実的になるにつれて、あまり考えていませんでした。でも、1年の時から監督には「関東の大学に行け」と言われていたんです。その頃は正直、あまりピンと来ていなかったのですが、1つ上の岩貞祐太さん(阪神)が関東の大学に行かれて、大学野球がどういうものなのかをいろいろと聞いていくうちに、「やるのであれば、自分も上を目指したい」と思うようになりました。それで、3年生の時に進路を考える段階で「プロに行くための4年間にしたい」という気持ちになりました。

―― その大学4年間では、ケガに苦しんだ。一番大きな壁となったのは?
田中: 大学2年の時、左肩を痛めたことです。その時はフォームがバラバラになって、本当にボールがどこに行くかわからないような、イップス状態にまでなってしまったんです。

―― そこからどうフォームを修正していった?
田中: 悪い時はいつも体の開きが早くなる。そうすると、真っ直ぐがシュート回転するんです。そこが自分の一番のウィークポイントだと思っていたので、フォームを一から見直しました。まず修正したのは、体重移動です。それまでは足を上げてから、すぐに踏み出しの右足に体重がほとんど全部移っていたんです。それが体の開きにもつながっていました。それで、軸足となる左足に体重を残せるように、チューブなどを使いながらトレーニングしました。左足にちゃんと体重を残せるようになってかrは、いい球がいくようになりましたね。

―― ピッチングで一番重要視していることは?
田中: 僕はサウスポーなので、右打者へのインコースへの真っ直ぐが生命線だと思っています。そこに球がいかないと、勝負にならない。でも、体を開かないように意識しすぎると、踏み出した右足のひざが内側に倒れてしまうんです。そうすると、右足で体がブロックされてしまって、体が回転できなくなる。体が回らないものだから、手投げになってしまって、シュート回転してしまうんです。とはいえ、体が開いてもいけないわけで、そのバランスが一番大事になってきますね。

 流れを変えた同点弾

―― これまでの野球人生で、一番印象に残っている試合は?
田中: 今年の春のリーグ戦、亜細亜大学との優勝決定戦の最終戦です。1戦目はサヨナラ勝ちをしたのですが、2戦目に負けて、1勝1敗で迎えた3戦目でした。僕はその試合、先発したのですが、5回裏にうちの打線が先制してくれたんです。ところが、7回表に同点に追いつかれてしまった。僕は向こうのキーマンは5番の遠藤雅洋だと考えていました。バッターとして打つ力もありましたし、対応力もある。それに足も速いので、ランナーとしてもやっかいな選手なんです。遠藤にヒットが出れば、向こうの打線は活気づくと思っていたので、その試合、彼には絶対に打たせまいと本気で抑えにいっていました。それで7回表、遠藤の2打席目は外の真っ直ぐで三振を取ったんです。「よし!」と思ったら、次の6番・池知佑也に同点ホームランを打たれました。結局、延長10回サヨナラ負け。あの1球さえなければ、流れはこっちにあったはずです。

―― キーマンを抑えて、気が緩んでしまった?
田中: 自分で緩めたつもりはありませんでしたが、今考えると、池知には少し安易にいきすぎた部分もあったかなと思いますね。ツーシームで2−2まで追い込んでから、インコースへの真っ直ぐを投げたのですが、ボール1個くらい甘いところに入ってしまいました。

―― インコースの真っ直ぐを選択した理由は?
田中: 池知には1打席目、外の真っ直ぐをライト前に運ばれていました。それで2打席目、ツーシームで2ストライクを取った。あまりツーシームに合っていない感じはしたのですが、なんだかスイングが探っているようにも思えたんです。それで「インコースに真っ直ぐを投げれば、三振か、もしくは当たってもボップフライ、あるいはどん詰まりのサードゴロになる」と踏んだんです。キャッチャーの考えも同じだったので、自信を持って投げたのですが……。もっと丁寧にいくべきだったなと思いますし、きちんとインコースを攻め切ることができれば、絶対にあんなホームランを打たれることはなかったはずです。プロではそういうことがないように、しっかりとトレーニングしたいと思います。

田中大輝(たなか・だいき)
1992年8月7日、熊本県生まれ。必由館高時代は1年春からベンチ入りし、2年春からエースナンバーをつける。國學院大に進学し、3年まではケガの影響などもあって登板は1試合にとどまる。4年生となった今年の春、4勝(1敗)を挙げ、一気にブレーク。ベストナインにも選ばれた。最速146キロの直球とスライダーが武器。182センチ、76キロ。左投左打。

(聞き手・斎藤寿子)

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