「怪物」と呼ばれた男が9年ぶりに日本球界に復帰する。
 レッドソックス、メッツなどでプレーした松坂大輔の福岡ソフトバンク入団が決まった。ここ数年はケガもあり、メジャーリーグで満足な成績を収められなかった右腕が、日本でどこまで輝きを取り戻せるのか。来季の注目ポイントとなりそうだ。松坂の同学年には藤川球児、和田毅、杉内俊哉、館山昌平、村田修一、小谷野栄一、梵英心ら、多士済々のメンバーが名を連ねる。横浜DeNAの久保康友も「松坂世代」のひとりだ。今季、FA権を行使して阪神から移籍し、12勝をあげ、チームのAクラス争いに貢献した。社会人を経て“松坂世代最後の大物”としてプロ入りした34歳は、松坂の存在をどう感じていたのか。二宮清純がインタビューした。
(写真:日本一速いと言われるクイック投法を駆使し、打者の性格や弱点を分析した頭脳的なピッチングで勝ち星を重ねる)
二宮: 久保さんは大阪・関大一高の出身です。大阪といえばPL学園や大阪桐蔭など強豪校もたくさんありますが、そのあたりの選択肢はなかったのでしょうか。
久保: 僕は何か一本に絞りこんで、それを極める自信はなかったんです。そもそも、そのことにメリットも感じませんでした。野球一筋でやって失敗したら、人生終わり。そんな生き方はイヤだったんです。だから、いろんな可能性を探りたいと考えていました。

二宮: それでも高3春のセンバツでは甲子園に出場しました。しかも決勝まで勝ち進み、横浜高の松坂投手と投げ合っています。この時の彼の印象は?
久保: すごかったですよ。でも決勝では本気で投げていないと思います。打席に立っても、マウンド上の雰囲気を見ても「遊んでいる」と感じました。

二宮: 結果は0−3。スコア上は決して大差がついたわけではありません。
久保: あの時は僕がもうヘロヘロでした。もっとしっかり投げていれば、0−1とか接戦に持ち込んで、相手を焦らせる展開にできたかもしれない。勝敗は別にして僕がベストのパフォーマンスをしていたら、もっとおもしろいゲームにできたはずなので、それは今でも残念ですね。まぁ、実力的には差は明らかで、「こいつには勝てないな」と痛感しました。僕のやっていけるジャンルは野球ではないと思いましたね。

二宮: 敗れたとはいえ、甲子園の準優勝投手です。それでも野球は自らの進む道ではないと?
久保: 準優勝はチームのみんなが頑張った結果であって、個人の能力では差を感じました。「こういうヤツが、おそらくプロに行って活躍するんだろうな」と。もっと言えば「もしかしたら、こいつらですら、プロでは活躍しないかもしれない」とも思ったんです。

二宮: 高校生にしては随分、客観的に分析していたんですね。
久保: プロに興味がなかったわけではないんですよ。でも、高校を卒業してすぐに行く必要はない。正直、高卒でプロに行ける自信がある選手は「すごいな」と感じましたね。本当に能力があって自信があるのか、単なる勘違いなのか……(苦笑)。僕は同世代の人間が、プロの世界でどのくらいやれるのかを見てから決めても遅くはないと考えていました。

二宮: 夏の甲子園もベスト8。プロからの誘いもあったでしょうが、それでも自信がなかったと?
久保: 誘いはありましたが、考えは変わりませんでしたね。本当に力があれば、大学、社会人を経由してもプロに行ける。僕の考えではプロは1軍で活躍してナンボ。いくらプロに行けても2軍止まりなら行く必要はない。要は1軍で活躍できる保証と自信がないのであれば、行く気はありませんでした。

二宮: 松坂投手をはじめ、同学年には多くの好選手が現れ、「松坂世代」と呼ばれました。「松坂世代」という呼ばれ方は率直にどう感じていましたか。
久保: 僕はありがたかったですよ。他の人間はプライドもあるから、「松坂世代じゃないだろ」とカチンときたかもしれませんが、僕は逆でした。「こいつら、すげぇな」と感じていた選手と一緒に「松坂世代」として取り上げてもらえる。それだけでもうれしいことでしたよ。

二宮: 高卒後、社会人(松下電器)からプロ入りまでは6年かかりました。同学年の選手が高校、大学を経てプロで活躍している姿をどう見ていましたか。
久保: あまり意識はしなかったですね。ただ、一緒に高校から社会人に進んだ杉内の動向は気になっていました。杉内も最初はトレーニング中心で、あまり試合では投げていなかったんです。ところが、2年目に試合で投げだしたら、とんでもないボールを放っていました。僕は入社してから、それほど変わっていなかったので、すごく焦りましたね。

二宮: 周囲は何かと比較したがります。「松坂世代」と呼ばれるのが重荷になったことは?
久保: そう言われるのがイヤだった時期もあります。「高校時代のオマエはすごかったのに何やっているんだ。同学年を見てみろ。松坂を見てみろ」とよく言われましたから。野球は根本的に好きなのに、それがイヤで、野球を嫌いになりかけたこともあります。

二宮: 最終的には「松坂世代最後の大物」と高い評価を受け、千葉ロッテに自由獲得枠で入団します。「松坂世代」として注目を集めたことがプラスに働いた面もあるのでしょうか。
久保: それは他の選手より有利だったかもしれませんね。ただ、僕は、どんなに評価されてもプロの1軍でやっていける自信がなければ行く気はありませんでした。あくまでもプロに行くかどうかは自分自身の問題。その点は高校時代から変わらなかったですね。

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