13日の午後、携帯電話の着信音が鳴った。久しぶりに見る名前だ。通話ボタンを押すと、なぜか女性の声だった。嫌な予感がした。「今日午前、父が旅立ちました。生前はお世話になりました」。声の主は代打男として一世を風靡した元阪急・高井保弘の娘・美和さんだった。

 

 これまで数多くのプロ野球選手を取材し、名言や金言に接してきたが、心の底からしびれたのは高井が発した次の一言だけだ。「代打とは?」「3球の(ストライクの)うちの1球で女房と子供をくわせることよ」。声に血が通っていた。

 

 通算代打本塁打27本の「世界記録」を持つ高井には、一振り稼業に生きた証として、実は「27本」以上に気に入っている“記録”がある。それは球宴での代打逆転サヨナラ本塁打だ。彼はプロ通算19年で一度しか球宴に出場していない。二度起用されたが一度は四球。バットを振ったのは一度だけ。その一振りが球宴史上一回きりの代打逆転サヨナラ本塁打なのだ。

 

 1974年7月21日、舞台は東京・後楽園球場。1対2とパ・リーグ1点のビハインドで迎えた9回裏一死一塁の場面で全パの野村克也監督は代打に高井を送る。全セのマウンドはヤクルトのエース松岡弘。初球、高めのストレート、ボール。2球目、真ん中高めにくるシュート回転のストレートを読み切っていたかのように左中間スタンドに叩き込んだ。

 

 この場面、高井は通常よりスパイク半足分、後ろに構えた。シュートに対応するためだ。「松岡はカーブを投げる時には左肩が上がる。逆に真っすぐやシュートの時には左肩が下がる。状況からして、ここはシュートしかないなと……」

 

 その高井に代打としての心構えを聞いたことがある。彼は①準備②集中力③自信④一番の4つをあげた。先の3つはわかるとして、④の一番とは?「要するにワシがこのチームで一番のバッターや、という気概よ。4番の長池徳士に対しても“アンタが打てんのなら、ワシがいつでも代わりに出て行って打ったるわ”と思うとったよ」。そして冒頭のセリフが飛び出すのである。

 

 一振り稼業の用心棒。ピッチャーは賞金首。エース級のクセを書き残したメモ数冊。ある選手に「そのメモ売ってくれんか」と頼まれた。ニヤッと笑い、高井は言った。「1億円でも安いで」。脚本家でも書けないようなセリフを口にする文字通りの職人だった。合掌。

 

<この原稿は19年12月18日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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