「島袋洋奨」。野球ファンなら誰もがこの名を知っていることだろう。2010年、甲子園で春夏連続優勝した興南高校(沖縄)のエースである。「トルネード投法」とも呼ばれる独特のフォームから繰り出す球は、まさに“超高校級”だった。もちろん、その年のドラフトでの上位指名は確実視されていた。だが、島袋は志望届を出さず、大学進学の道を選んだ。ところが、その大学では高校時代とは一転、苦しい日々の連続だった。紆余曲折を経て、島袋が最後につかんだものとは――。
 大学最後に取り戻した感覚

―― 4年春は6試合に登板して0勝2敗、防御率6.75。与四死球率が10個を超えるほどの制球難に苦しみました。
島袋: 春は「マウンドに上がりたくない」と思っていました。ブルペンでもボールが抜けたりして、100%の力で投げられないままマウンドに上がっていたんです。要は準備ができていなかったので、「それで投げられるわけないよな」という状態でした。だから「早くマウンドから降ろしてくれ」と。それでもプラスに考えようとはしていたんです。ただ、いざマウンドに上がると弱気な部分が出てきてしまって……。あの時期は本当に苦しかったです。

―― それでも秋の青山学院大戦では、6回8安打4失点ながら勝ち投手になりました。これは約1年ぶりの白星でしたね。
島袋: 数字だけを見ると、ボコボコにやられてはいるんですけど、先発で6回を投げたということが、自分にとっては本当に大きかった。それまでは1回ももたないとか、投げても1、2回だったので、久しぶりに5回をまたいで投げて、身体も気持ちもいい意味での疲れがありました。

―― 復調の兆しはいつからあったのでしょう?
島袋: 試合でというよりは、練習でみんなが協力してくれたことが大きかったですね。僕のためにランナーを置いての試合形式でのバッティング練習をメニューで組んでくれて、そこで腕を振る感覚を思い出すことができたんです。

―― それまでは腕が振れていなかった?
島袋: とにかく押し出しが嫌で、力を入れずにストライクを取りにいっていたんです。練習でも何度も押し出しをしたのですが、それでも「力を抜かずに、思い切り腕を振る感覚を思い出せ」と言われて、投げていくうちに、少しずつ腕を振れるようになっていきました。チームのみんなが僕に勝ち星をつけさせたい、と言ってくれていて、ずいぶんと僕に時間を費やしてくれました。本当に感謝しています。

―― 練習で感覚を取り戻したことによって、自分のピッチングができるようになったと。
島袋: はい。それともうひとつ大きなきっかけとなったのが、後輩から紹介された神戸のジムに行ったことでした。1泊2日でトレーニングをしてきたのですが、そこではバランスボールを使ったりして、「パワーライン」という身体のどこに力を入れるのかということを教わったんです。もちろん、それまでもトレーニングはしてきましたが、鍛えた身体を実際にどう使うかということがわかっていなかったんです。それを理解したうえで、シャドーピッチングやネットスローをしたら、身体の感覚がまったく違いました。「あ、こうすればいいんだ」というものがつかめたので、ピッチングへの不安もだいぶなくなりました。実際にマウンドに上がった時も、違いを感じましたね。それまではバッターと勝負しているというよりも、自分がどうしたらいいかがわからずに一人相撲のような感じになっていたんです。でも、ようやく対バッターを意識して投げることができるようになった。3年秋以来の感覚でした。

―― ピッチングに対して思い出した感覚があった?
島袋: 「そうか、こういう気持ちで投げていたんだ」と。正直、大学に入ってからは「ピッチャーって難しいな」と何度も思ったんです。高校時代はまったくそんなことを思ったことがなかったのに、大学1年の春にいきなり3連敗して、難しさを感じていました。セットポジションからほとんど走られたことがなかったのに、大学では好きなように走られたり……。そこからなかなか抜け出すことができなかった。でも、最後の最後に「ピッチャーってこういうものだったんだ」という感覚を思い出すことができたのは、とても大きかったです。

 初志貫徹の気持ちでプロへ

―― 全国の頂点に立った高校時代には出さなかったプロ志望届を、今回は出しました。迷いはなかった?
島袋: 正直、出そうかどうか迷いました。社会人という選択肢も考えたんです。でも、プロに行くために大学に進学したという当初の目的を改めて考えた時、指名されるかどうかという不安よりも、「オレは4年間、プロを目指してやってきたんだ」という気持ちの方が勝っていた。監督や両親にも相談しましたが、「オマエが行くと決めたところなら、どこでも応援するから」と言ってもらったことも後押しになって、志望届を出すことに決めました。

―― その結果、福岡ソフトバンクから5位で指名されました。
島袋: 本当にホッとしました。もちろん、指名される自信がなければ届を出していないわけですが、それでもやっぱり不安はあったので……。5位まで進んだ時、「もしかしたら漏れるかもしれない」という不安が襲ってきていたので、名前が呼ばれた瞬間は嬉しいといよりもホッとしたという感じでしたね。

―― 大学入学直前のインタビューでは「プロは怖いという気持ちがある」と言っていましたが、今は?
島袋: 高いレベルでやってきたという自信があるので、今はプロへの恐怖心というものはまったくないです。

―― 最後に座右の銘を教えてください。
島袋: 「初志貫徹」です。どんなことも一度自分で決めたことは、最後まで貫き通したいと思っています。

―― そう思ったきっかけは?
島袋: 高校に入って、我喜屋優監督に言われたのは、「オマエら、自主練習が一番きついメニューだってわかっているのか?」ということでした。それまでは自主練に力を入れることはしていなかったのですが、高校では自分できついメニューを設定するようになったんです。でも、やっぱり途中で「少し量を減らそうかな」とか、めちゃくちゃ考えるんですよね。それでも「いや、自分で設定したんだから、最後までやり通そう」と思い直してやってきました。だから、これからもそういう頑固さをもっていきたいと思っています。

島袋洋奨(しまぶくろ・ようすけ)
1992年10月24日、沖縄県生まれ。興南高では1年秋からエースとなり、2年時には春夏連続で甲子園に出場するも、いずれも初戦敗退。しかし3年時には史上6校目となる春夏連覇を達成した。中央大では1年春に開幕投手に抜擢されるなど、主戦としての活躍が期待されたが、故障をしたり、4年春は未勝利に終わるなど苦戦。それでも最後の秋には1年ぶりとなる白星を挙げ、復調の兆しを見せた。173センチ、71キロ。左投左打。

(聞き手・斎藤寿子)

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