大学2年春に最速150キロをマークし、同年秋には3勝無敗でリーグ優勝に貢献した石田健大。同級生の早稲田大・有原航平と明治大・山崎福也らと六大学野球の“ビッグ3”と呼ばれ、名門・法政大のエースとして君臨してきた。だが、4年間が順風満帆だったわけではない。果たして、石田のピッチングはどう変化しっていったのか。
 プロ相手に感じた厳しさと手応え

―― 横浜DeNAに2位で指名されました。
石田: 法政大の先輩もたくさんいる球団なので、とても入りやすいかなと思っています。昨季は左ピッチャーでは未勝利に終わったということなので、逆に言えば、サウスポーの僕にはチャンスがあるかなと。1位指名された山崎康晃(亜細亜大)とも「2人で10勝ずつすれば」という話はしています。もちろん、山崎とはライバルでもありますが、2人で切磋琢磨しながら同期としてお互いにしっかりやっていけたらなと思っています。

―― 一番の強みは?
石田: どんなバッターにも強気に向かっていくピッチングスタイルです。調子の良し悪しに関係なく貫いてきたことなので、プロでもその部分を出していきたいです。

―― プロとしての目標は?
石田: プロはピッチャーもバッターもレベルが高く、僕にとっては未知の世界なので、自分がどこまでいけるかは想像がつきません。でも、1年目から先発ローテーションに入ることができれば、2ケタはいきたいなという気持ちはあります。

―― 大学2年の時には、日本代表の強化試合として東京ヤクルトの二軍と対戦しています。この時は3回を投げて3安打無失点と好投しました。
石田: プロのバッターはみんなオーラがあって、怖がっていたわけではありませんが、実際よりも身体が大きく見えました。甘い球は絶対に見逃さなかったですね。大学生だと、甘い球でも打ち損じすることがありますが、プロはちゃんととらえきって、ヒットにする。「これでは失投はできないな」と思いました。

―― 3回を投げて、一番印象に残ったことは?
石田: インコースの真っ直ぐを強気で投げたのですが、それが普通にファウルにされました。大学生だと空振りとか、手が出ずに見逃しとなるのですが、プロのバッターは余裕でカットするんです。「そこをファウルにされた、もう投げる球なんかないよ……」と言いたくなりましたよ。もちろん、大学生でもそういう高い技術をもったバッターはいることにはいますが、全員ではありません。プロではこんなバッターばかりなのかと思ったら、当時はちょっとぞっとしましたね。

―― プロにも通用すると手応えを感じたのは?
石田: これもインコースの真っ直ぐでしたね。カットもされましたが、コースに投げると結構決まったりもしたので。ただ、大学と違ってプロはストライクゾーンが狭い。だから、大学の時と同じように投げていては、ストライクにとってもらえずに不利なカウントになるんです。かといって、甘いところには投げられないので、プロはやっぱり厳しい世界だなと思います。

 フォーム改善での良し悪し

―― 3年の時にフォームを変えましたね。
石田: はい。日米大学野球選手権の代表に選ばれて、大瀬良大地さん(当時九州共立大・現広島)や、九里亜蓮さん(当時亜細亜大・現広島)とキャッチボールをした時に、「ちょっと後ろのテイクバックが大きい」と言われたんです。九里さんを見ても小さかったので、参考にして小さくしました。

―― テイクバックを小さくする理由とは?
石田: バッターからすると、テイクバックが大きいと球が見えやすいんです。でも、小さいと、どのタイミングで球が出てくるか見づらくなるので、タイミングがとりにくくなるんです。ピッチャーにとっては有利ですよね。

―― 実際にやってみて、どうでしたか?
石田: 最初は全然ダメでしたね。球速も落ちましたし、球威もなくなってしまったんです。正直、「どうしようかな」と悩んだこともあったのですが、上を目指すなら、スピード以上にコントロールと球質の方が重要になるということを聞いていたので。実際だんだん慣れてくると、バッターが打ちにくそうにしているのがわかりました。ただ、確かにコントロールは良くなりましたが、球速は戻ってはいないので、そこが今後の課題ですね。

―― 2年時には最速150キロを出して話題となりました。
石田: 当時はとにかく球が速い方がいいと思っていたので、ほとんどストレートばかりを投げていました。150キロを狙っていたわけではありませんでしたが、いつも球速を気にしながら投げていましたね。

―― 今は何を意識しているのでしょう?
石田: もちろん今も球速は気になりますが、それよりもバッターがどういう感じで僕と向かっているかということを見ています。バッターの反応を見て「今の球はいいんだな」というふうに確認しながら投げていますね。

―― ピッチングは球速だけではないと。
石田: そうですね。緩急が使えるようになってからは、真っ直ぐで押していた時よりも楽に抑えられるようになりました。

―― 今の最大の武器は?
石田: 真っ直ぐが落ちてしまったこともあって、スライダーを磨きました。4年生の時はスライダーを中心に投げていましたが、これを勝負球にできるようになってからは楽になりましたね。

―― これまでで一番印象に残っている試合は?
石田: 大学2年の時、15奪三振で完封した慶應戦です。あの試合のピッチングはもう完璧でしたね。今でも鮮明に覚えているのですが、まったく打たれる気がしなかったですし、失投したとしても球の質がいいので前に飛ばずにファウルになった。それで簡単に追い込んで、落として三振という感じでした。自分でも不思議なほど、最高のピッチングでしたね。

 “上の存在”から“ライバル”へ

―― 同郷の有原航平投手(北海道日本ハム1位指名・早稲田大)とは「ライバル」と言われることも少なくありません。
石田: 高校の時は広島ではずっと有原が目立つ存在でした。甲子園でも活躍していますしね。正直、当時はずっと上の存在でした。対戦したことがないので、会話もしたことがなかったんです。彼は当然プロに行くのかなと思ったら、僕と同じ六大学の早大に進学してきた。上京したばかりの時に会う機会があって、その時に初めて話をしたら、意外とからみやすかったんです(笑)。すぐに仲良くなりましたね。

―― ライバルとして見ていましたか?
石田: 大学では山崎福也(オリックス1位指名・明治大)と3人で“ビッグ3”というふうに言われていましたが、有原も山崎も甲子園組でしたから、僕にとって2人とも始めは上の存在でした。だから、とりあえず2人に追いつこうという思いだったんです。手応えを感じたのは1年の秋ですね。3勝して、「あ、通用しないこともないな」と思ったんです。4年間で一番調子が良かったのは2年の時は、どこに投げても打たれないという感じでした。そこでさらに自信がつきましたね。

―― 同じ左ピッチャーとして、有原投手のすごさとは?
石田: ストレートが速く、見ていると簡単に抑えてしまうというイメージがあります。法大のバッターに対しては速いストレートで追い込んで、右にも左にも落ちる球を持っているので、その球で勝負するという感じでした。法大のバッターは、いつも同じパターンでやられていました。速いストレートの後に落ちる球を投げられると、どうしてもバットが回ってしまうんです。それに身体も大きいので、マウンド上でのオーラがあります。

―― その有原投手にも絶対に負けていないというところは?
石田: スピードは有原の方が上ですけど、ひとりひとりのバッターに対して向かっていく気持ちというのは、絶対に負けていないと思います。

―― 最後に、好きな言葉を教えてください。
石田: 「感謝」です。親に感謝しているのはもちろんですし、これから野球を続けさせてもらえるということにも感謝しています。

石田健大(いしだ・けんた)
1993年3月1日、広島県生まれ。広島工では1年夏からベンチ入りし、2年秋にエースとなる。3年春には同校として30年ぶりの県大会優勝、22年ぶりの中国大会制覇の立役者となった。法大では1年秋からリーグ戦で登板し、3勝を挙げる。2年春には最速150キロをマーク。2年秋は無傷の3勝でリーグ優勝に貢献した。3年時には日本代表として日米大学野球選手権に出場。大学時代は、早大・有原航平、明大・山崎福也とともに東京六大学を代表する“ビッグ3”と呼ばれる。身長180センチ、体重83キロ。左投左打。

(聞き手・斎藤寿子)

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