12月15日、僕は「成田市政施行65周年記念事業・宝くじスポーツフェアドリームサッカーin成田~日本代表OBがやってくる」に参加してきました。宝くじで得た収益を地域、少年少女に還元するイベントです。文字通り日本代表OBが集まるイベント。鹿島アントラーズOBは僕を含め本田泰人、秋田豊、中田浩二、増田忠俊、鈴木隆行、柳沢敦、平瀬智行の8名が参加しました。

 

 午前中は少年少女サッカー教室が開催されました。パス、コミュニケーション、シュート、ドリブル、コントロールといったパートに分かれて指導をしました。コミュニケーションという部門では目を合わせ、タイミングを計りながら自分がどこでボールを欲しいかをパサーに伝える練習をしました。伝える方法は様々。声に出してもいい、アイコンタクトだけでもいい、手を広げた方向だったりと、意思表示をする練習ですね。

 

 これは、鹿島OBで動き出しに定評がある柳沢がうまかったですね。彼のボールの呼び込み方、どこのスペースに出して欲しいかのアピールはわかりやすい。さらにボールを受ける前のランニングコース取り、ステップワークは秀逸でした。これは午後に行われた成田選抜とのドリームマッチでも存分に発揮されました。

 

 午後は平均年齢約48歳の成田選抜とのドリームマッチ。代表OBチームは約47歳でほぼ同年代の対決でした。成田市は鹿島アントラーズのフレンドリータウンの1つです。団長・奥寺康彦さん、監督・釜本邦茂さんらの粋な計らいで「後半は鹿島OBでメンバーをかためよう」との提案で、僕たちは後半から出場しました。鈴木、柳沢らがハットトリックするなどの大活躍。11対1で代表OBチームが勝利しました。地域の少年少女や父兄の方々も大変喜んでくださいました。サッカーを通じてこういった活動に貢献できたことを嬉しく思います。

 

 今月は代表戦も行われ、日本代表は東アジアE-1選手権を戦いました。国内組、東京五輪世代の多いメンバー編成で臨み、結果は2大会連続の準優勝でした。選手の勝負にかける勝負への意欲がいまひとつ感じられなかったかなぁ、というのが僕の率直な感想です。

 

 その中でも香港戦、韓国戦に出場したMF相馬勇紀は存在感をアピールしていましたね。韓国戦は後半の頭からピッチに立ち、ドリブルでの仕掛けでチャンスを作っていました。彼の切れのあるドリブル、積極的な姿勢はゲームの流れを変えていましたね。1対1の局面で仕掛けられる相馬は今後も期待の選手ですね。

 

 さて、早いものでもう年末ですね。読者の皆様、今年も僕のコラムにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。来年は東京五輪が開催されます。若き日本代表の選手たちの活躍に期待しましょう。もう少しすれば、「オーバーエイジは使うのか? 使わないのか? 使うならば誰を呼ぶの?」といったことを考える楽しみができます。今からワクワクしますね。僕も皆さんにこのコラムを楽しんで読んでいただけるようにがんばります。それでは、良いお年をお迎えください。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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