第156回 協会は幸せボケから覚めるべき

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 この1月、タイでU-23アジア選手権が行われました。日本代表はサウジアラビア、シリアに1対2と敗れ、カタールに1対1と引き分け。勝ち点1のみでタイを去ることになりました。この大会に入る前の動きも含め、思うことがありましたね。東京五輪に向けて危機感が強くなったのが、率直な感想です。

 

 戦いを見ていてチームとしての方向性が見えなかったのは残念です。選手の招集の仕方にも問題がありました。リーグ戦のみでシーズンを終えたクラブの選手をもっと早期に集め、戦術を浸透させてもよかったのではないでしょうか。「海外組が食野亮太郎(ハーツ)しか呼べなかったので……」という話ではありません。予選敗退は準備不足が招いた結果です。

 

 また、メンバーの「日の丸を背負っている」という意識も薄かったように思います。球際や点を取るんだという気迫、失点後の顔つき……。他国は東京五輪の出場権が懸かっている。こんなことを言うと考え方が古いと言われかねませんが、選手たちには”日本を代表してピッチに立っている”という認識をもっと強く持って欲しいですね。

 

 U-23アジア選手権は韓国が優勝しました。E-1選手権も韓国が制しました。韓国は気迫が違いましたね。こういった点を見習うべきです。日本と韓国が定期戦を行えば、代表チームの強化につながると思います。国内組同士でもかなりのレベルアップが期待できるはずです。

 

 どうしても口調が厳しくなってしまいますが、日本サッカー協会は幸せボケをしているのでしょうか。「アジアを強くしましょう、指導者も日本から派遣します」などと言っていられる状況ではない。実際、アジアカップ、E-1選手権、今回のU-23アジア選手権とアジアで日本が負けているんですよ。今一度、自国に目を向けましょう。このままでは、東京五輪で痛い目を見ることになります。

 

 国内組での合宿の復活も

 

 かつて行っていた候補合宿をこのタイミングで復活させるのもひとつの手でしょう。「海外組は呼べないじゃないか」という声もあるかもしれませんが、本番のメンバーは全て海外組で編成される保証もありませんし、国内組の強化につながるのであれば、決して無駄ではありません。大会に参加し、初戦をこなし、2戦目は大幅に入れ替える――。多くの選手に経験を積ませる時期はもう終わりです。当たり前ですが、五輪本番はアジアよりレベルの高いチームが集まってきます。このままでは予選敗退もあり得てしまいます。

 

 VARにも少し言及しましょう。今大会、首を傾げたくなる場面が散見しました。カタール戦のMF田中碧の退場シーンはその典型例です。本来、決定権を持っているのは主審です。VARからのアナウンスが入り、結果的に誤審を招いてしまった。VARからのアナウンスが“主審を脅かす声”になってしまってはいけません。この制度の導入自体には僕も賛成です。使い方を見直すべきだと思いましたね。今季からJ1でも導入されます。同じようなシーンを作らないよう、対策を練って欲しいです。

 

 Jリーグクラブの日程についてもメディアが賑わいました。僕の古巣、鹿島アントラーズがきっかけでした。天皇杯決勝が元日、そしてACLプレーオフが1/28(結果はメルボルンに0対1の敗戦)。確かに、鹿島はオフが短かった。毎年恒例の宮崎合宿は新戦力を中心にまずはスタートし、少し遅れて昨季消耗の激しかった選手が合流したようです。そのため「天皇杯決勝は元日でなくても良いのでは?」という声も聞こえました。

 

 僕は天皇杯決勝については元日がいいと思います。プロを相手に「やってやろう!」と意気込むアマチュアチーム(社会人、大学、高校)もたくさんエントリーしているのが天皇杯。確かに、決勝に残るのはプロチームばかりですが、アマチュアチームの選手たちは元日決勝の舞台に憧れているでしょう。実際、僕も「元日・決勝」にずっと憧れを抱いてきたひとりです。

 

 天皇杯決勝よりもリーグ戦の日程について僕は思うことがあります。ルヴァンカップ、天皇杯に敗れ、リーグ戦しかないチームのスケジューリングです。ここの日程をもう少し詰める策があればなぁ、と思います。ある期間だけ水曜日、土曜日開催を増やし、リーグ終盤にもミニ合宿を組めるようにするとします。調子を崩していたチームはその期間に体制を整えることができればファン、サポーターは「あ、チーム、変わったね」と観戦の楽しみがひとつ増える。そういう時間の使い方ができれば、素敵だなぁと思います。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。

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