188センチの恵まれた体格から150キロ超のストレートを投げる薮田和樹は、一級品の素材として早くから注目されてきた。しかし、主戦として活躍することが期待されていた大学4年間での登板は3年春のわずか2試合にとどまり、未勝利に終わった。高校時代から相次ぐケガに泣かされ、実力を発揮することができなかった薮田。果たして彼はそこで何をつかんだのか――。
 会心は技術で上回る見逃し三振

―― 地元の広島から2位指名を受けました。
薮田: 名前を呼ばれた瞬間は、ホッとしたのと同時に、鳥肌がたつくらいビックリしました。小さい頃からずっと見てきた野球がカープでしたので、その一員としてプレーするというのは本当に嬉しいです。

―― 球団から期待されていることは何だと思いますか?
薮田: 体格に恵まれているということもあると思いますし、何より150キロを超えるストレートを持っているというところを評価していただいたと思っているので、それを最大の武器にして、期待に応えられるように頑張りたいと思います。

―― 入団会見では「ストレートにこだわっていきたい」と言っていました。
薮田: もちろんキレのある変化球も、バッターは打ちづらいと思いますが、これまで野球をしてきて、やはり速いボールが一番対応しづらいのかなと。わかっていても打てないボールとなると、速いストレートだと思いますので、そのストレートに磨きをかけていきたいと思っています。

―― 三振へのこだわりは?
薮田: 見逃し三振をとれた時が一番嬉しいですね。空振り三振は力で勝っていたということになると思いますが、見逃しとなると、それだけコースに決まっているボールということだと思うので、技術的に上回れての三振かなと。

―― 一番の会心だった三振は?
薮田: 大学3年の時の全日本大学選手権、日本体育大学戦で奪った三振です。ストレートとフォークボールで2ストライクに追い込んで、実はキャッチャーからのサインはもう1球フォークだったんです。でも、首を振って、ストレートを投げました。

―― ストレートを選択した理由は?
薮田: その日のストレートは絶対に打たれないという自信があったんです。それとバッターのタイプを見てもストレートの方がいいと思いました。あまり体格のいいバッターではなかったですし、2球目にバントの構えをしてきていたので、「これは当てにくるようなバッティングをしてくるんだろうな」と。変化球だと、それこそバットに当ててきて粘られると思ったので、ここはバットに当たらないストレートでいこうと。結果は3球三振でした。

―― 会心のボールを投げられた時の感覚とは?
薮田: 本当に会心のボールを投げる時というのは、右足1本で立った時にわかるんです。立った時に決まると、「あ、これは絶対に狙ったところにいく」という感覚があるんです。

 課題はヒジへの負担軽減

―― 現在、フォームの中で一番意識していることは?
薮田: 高校時代からヒジを故障してきたので、やはりヒジへの負担がかからないような投げ方を意識しています。

―― 大学ではフォームのどこを修正したのでしょうか?
薮田: 高校時代はテイクバックを大きくとっていたのですが、腕が体から離れると、その分、負担が増えるんです。それで、腕を近くで置くようにしました。バッターからは「タイミングがとりづらい」とは言われましたが、まだぎこちないので、これから改善していかなければいけないなと思ってます。もちろん、ケガをしないようなフォームというものを一番に考えていますが、自分の一番の武器である球速は落としたくないので、腕を振る時の力の抜き方を覚えたいなと思っています。

―― 右足をゆったりと上げていますね。
薮田: スッと素早く上げる方がいい時もあるのですが、自分の場合は右足に乗る時間をしっかりととりたいんです。上げた時に決まるかどうかで、ボールが違うので。

―― 上げた後の左足の踏み込みは?
薮田: もともと股関節が硬くてインステップしていたのですが、そうするとシュート回転してしまうんです。そこを修正したら、体の開きもなくなって良くなりました。

―― 踏み込む時の体重移動で意識していることは?
薮田: 一番意識しているのは止めるということです。踏み込んだ時に、前に行く勢いが止まりますよね。その止まった瞬間に下半身の力が上半身に伝わってくるんです。それと投げる瞬間に、踏み込んだ足を少し引く感じにするんです。やり投げの選手に似ているんですけど、そうすることで上半身がしなる。ダルビッシュ有選手や大谷翔平選手もそうだと思います。

 夢を与えられる選手に

―― 高校時代からケガに苦しんできました。
薮田: 一番辛かったのは高校3年の時です。前年、亜細亜大の先輩でもある九里亜蓮さん(現広島)の代はすごく強くて、絶対に甲子園に行けると言われていたんです。それでも行けなくて、その時に唯一の女子マネージャーだった同級生が泣いていたんです。それで「自分たちの代で行けばいいじゃないか」と言いました。それなのに、最後の年にケガをして、まったくプレーができなかった。同級生に何もしてあげられなかった悔しさは、今でも忘れられないです。

―― 大学時代もケガとの戦いでしたね。
薮田: はい。それでも得たものもありました。最後の春、投げられずに走ることしかできなかった僕に、監督がブルペンでバッターをやってくれと。メンバーピッチャーが投げている練習に、バッターとして立つだけで、もちろん打つことはないですし、へたしたら死球が当たる役割なんです。

―― バッターとして立ちながら、どんなことを思っていましたか?
薮田: いつもケガした選手やスタッフがやってくれいたのですが、自分がやってみて「こんな痛い思いをするだけのことをやってくれていた人がいたんだな」ということを改めて感じました。

―― 悔しさもあったのでは?
薮田: いえ、それよりも何かの役に立ちたい、という思いの方が強かったので、意地ではないですけど、「絶対に逃げないぞ」と思いながら立っていました。もちろん避けてもいいんですけど、それではピッチャーの練習にならない。試合でインコースを突けるように、ちゃんと内寄りに立って、逃げないようにしていました。

―― たくさんの苦しさや悔しさを経てプロになったわけですが、どんな選手になりたいですか?
薮田: 自分がここまでこれたのは、いろいろな方の支えがあったからこそだと思っています。そして、プロになろうという目標を持ってやってこれたのは、小さい時にカープの試合を見て、選手に憧れ、夢をもらったからです。これから辛いこともあると思いますが、自分も夢を与えていけるような選手になりたいと思っています。

薮田和樹(やぶた・かずき)
1992年8月7日、広島県生まれ。岡山理大付高では1年春からベンチ入りするも、2年秋に右ヒジを疲労骨折し、3年夏は控え投手に。2011年、亜細亜大に進学。3年春にリーグ戦デビューを果たし、最速151キロをマークした。しかし4年時は春に右肩痛を発症し、1年間登板なしに終わる。188センチ、82キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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