「オリンピックイヤーの来年、大きな格闘技の大会をやりたい。そして最強を証明したい」
11月24日、横浜アリーナで約8カ月ぶりの復帰戦を白星で飾った「K-1 WORLD GPスーパーフェザー級王者」武尊は、リング上でそう宣言した。
この日の相手は、“湘南の蹴撃スナイパー”の異名をとる村越優汰。見せ場は3回に訪れた。
村越の連打を浴びると武尊の白い歯がこぼれた。闘争心のスイッチが入ったのだ。KOこそ逃したが雨あられとばかりのラッシュは、右拳骨折の後遺症を微塵も感じさせなかった。
武尊については以前にも書いたが、今、私が最も気になる格闘家である。その好戦的なファイトスタイルもさることながら、人生の全てを戦いに捧げる、とでも言いたげな求道者的な姿に神々しさを感じるのだ。
鳥取県米子市生まれの28歳。格闘技好きの両親の影響もあり、少年時代からファイターに憧れた。
「家には、なぜかレガースが置いてあった。おかあさんが格闘技の大ファンだったんです。プロレスのビデオもよく見ました。新日本プロレスのアントニオ猪木さん、藤波辰爾さん、長州力さん……。誕生日プレゼントはタイガーマスクのDVDセットでした。アッハッハッ」
プロレスの延長線上に1990年代に入ってブレークしたK-1があった。武尊少年のアイドルはプロレスラーからK-1ファイターに変わった。それが空手家から転じたアンディ・フグだった。
フグと言えば、かかと落としである。強いだけではなく戦い方に華があった。
そのフグが白血病により他界したのが2000年8月。武尊はまだ9歳。ある意味、武尊はフグの“没後弟子”と言えるかもしれない。
キックボクシング系のスポーツは、これまで沢村忠、藤原敏男、魔沙斗……を筆頭に数多くのスターを生み出してきた。だが、人気が長続きしない。その最大の理由は、複数ある団体を束ねるコミッションが存在しないからだと私は考えている。
たとえばプロボクシングの場合、JBC(日本ボクシングコミッション)がプロの試合の全てを<管理、統轄する機能を有する>とルールブックに謳われている。こうした統括機関が格闘技界には存在しないのだ。
小異を捨てて大同につく――。冒頭で紹介した武尊の夢を実現するには、この精神が業界全体に必要である。
<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2020年1月10、17日号に掲載されたものです>
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