オリンピックイヤーが幕を明けた。今年7月24日から8月9日にかけて東京五輪が開催される。

 JOCは金メダル獲得目標を30個に設定し、獲得数で世界3位を目指す、としている。

 

 

 4年前のリオデジャネイロ五輪で、日本は金銀銅合わせて41個のメダルを獲得した。これは2012年ロンドン大会の38個を抜き、五輪史上最多だった。

 

 その内訳は金12、銀8、銅21。メダル総数はドイツとフランスの42個に次ぐ41個で、国・地域別では7位だった。

 

 しかし、国・地域別ランキングでは6位になっている。これはメダル総数ではフランスよりひとつ少なかったものの、金メダル数ではふたつ上回ったためだ。

 

 要するにランキング表では銅10個よりも銀1個、銀10個よりも金1個の方が高く評価されるのだ。私はこれを、五輪における“金本位制”と呼んでいる。

 

 もっとも、五輪憲章には<個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない>とうたわれている。

 

 にもかかわらず、五輪期間中、国・地域別メダル獲得数をメディアが躍起になって報じるのは、国民の側にそうしたニーズが少なからず存在するからである。もちろん、日本も例外ではない。

 

 いや、他国に比べた場合、メダルへの執着は、日本の方がより強いと言えるかもしれない。

 

 これは00年シドニー五輪に出場した競泳の萩原智子から聞いた話。200メートル背泳ぎ決勝で、彼女は3位の選手にわずか0.16秒及ばずメダルを逃す。帰国した彼女に待っていたのは「税金泥棒」との罵声だった。

 

 これなど、この国に根強く残るメダル至上主義の弊害だろう。

 

 64年東京五輪のマラソンで最後、英国のベイジル・ヒートリーに抜かれ3位になった円谷幸吉は、次のメキシコ五輪で「金メダルを獲る」と誓ったが、オリンピックイヤーの1月9日、自ら命を断つ。

 

 遺書には<父上様母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が安まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました>とつづられていた。

 

 メダルを期待するのはいいが、期待し過ぎるのはどうか。それはむしろ選手の足枷となり、不幸を招く場合もある。自然体で五輪に向き合いたい。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2020年1月31日号に掲載されたものです>

 


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